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一ノ平

郡上では「イチノヒラ」と呼ぶ、「イチノダイラ」ではない。前回、郡上に「平」のつく小字地名が恐らく二百以上あって、山間地に住む者がどれほど平地に焦がれているかを書いた。更にこれが地形地名なのか、それとも開発地名や文化地名なのかを分類しようと苦しんでいるところをお見せした。一筋縄ではうまくいきそうもないことはお分かりいただけたと思う。これからは思いついた時に少しずつ取り上げて、楽しんでいただけるようにしたい。

今回は郡上八幡の城山にある「一ノ平」を取り上げてみようと思う。本来なら用例の多い「前平」「横平」などをまず取り上げるべきかもしれないが、楽しくやるのが本分であるから、あまり責めないでもらいたい。まずは柳町一ノ平と桜町一ノ平から。

数日前、大まかな場所と大きさの見当をつけたくて柳町一ノ平を回ってきた。新橋の向かいにある城への登り口から上がるともうそこから始まっていた。上がるとすぐにかなりのダイラがあり、そこから秋葉さん、岸剣神社、城山公園まででも相当広い。ここから更に積翠園あたりまでが柳町一ノ平であった。一部階段を使うような場所もあるにはあるが、土手や石積みを見れば開拓された平地であることは間違いあるまい。

そして昨日、桜町一ノ平を確かめに行った。字絵図(あざえず)を見ながら凡その位置と大きさを推測できた。今度ゆっくり踏査する楽しみができたことになる。柳町ほどでないとしても、これもまた相当な広さであった。ここもまた山側を削って平地を広げる開発があったことは間違いあるまい。

そしてここで取り上げたいのは城山の山頂にある郡上八幡城の字が「一ノ平」であるという点だ。これはもう城山全体の開発が一ノ平であって、西側に柳町一ノ平、南側に柳町一ノ平という具合に平地を広げていったことを示しているだろう。そして開拓の主体が遠藤氏をはじめとする歴代の藩主であったことは間違いあるまい。

但し、城山の開発が十六世紀後半から始まったとは言い難い。城山はかつて「牛首山」と呼ばれていた経緯がある。ここはまた白山信仰の参道に当たる。長良川筋には大きな歩危が何か所かあり、橋や舟便が安定しなければ難しいコースである。これに対し小駄良筋は通路として安定しており、大和の東氏や更には長滝寺とのかかわりが濃厚な所だ。

「一ノ平」は「一の丸」「一の廓」などから城に関わる用語と考えて良さそうだが、「平(ヒラ)」はそれ以前の伝統を引いているように思われる。従って「一ノ平」自体は武士による大規模な開発であったにしても、それ以前から村単位或いは個人単位の小規模な開発があったと考えられないか。                                               髭じいさん

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