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安千葉(あちば)

旧郡上郡大和村弥富剣(やとみ つるぎ)に上安千葉、下安千葉という小字がある。長年気にかかっている地名だが、中々ほどけない。今回はこれまでの経緯と現状を披露しようと思う。

上安千葉は「かみ-あちば」、下安千葉は「しも-あちば」で、上下は「かみ」「しも」と呼ばれこの辺りでよく使われる用語だ。上下は川の上流、下流を示すことが多い。

という訳で、やっと本題の安千葉にたどり着いた。これまで解釈されてきたものを含め幾つか列挙してみる。

1 「安-千葉」と切る。表記にあるように千葉氏に関連させる。又、「血取り場」が「血場(ちば)」から「千葉」になったと説くことがある。この場合の「安」は「亜」と解されることが多く、亜脱臼、亜流などの「亜」とみられている。

2 「安千-葉」と切り、「安千」を「あちこち」の「あち(彼方)」とし、「葉」を「場」とする。つまり彼方場とみるもの。

3 「安千-葉」と切った上で、「安千」を省略形とみる。一つは「あぜち」から「あち」、つまり畦地場とする。また長野県旧阿智村など「アチ」が独立して使われて場合を含め、語源を「あひち」「あふち」とみて「山川の合ふ地」と解する。

大体こんな所ではなかろうか。

まず1の「安-千葉」をみると、すでに表記で解釈がなされている。大和は承久の乱後、関東から東氏が新たに地頭として派遣された地であり、東氏と千葉氏はゆかりの深い姓だ。この地名が鎌倉時代に付けられたとすれば有力な候補であると言えよう。東氏がもたらした妙見などが地名として残っているのでこれも考えられる。

ただ不安な点が二つ。一つはこの地が平安時代から既に荘園化されて由緒の古い地であるし、もう一つは「安」の解釈に違和感が残る。「安」を「亜」と解すれば、「亜」が漢語なので重箱読みになってしまう。また「亜」を接頭辞として使う地名も他に見当たらない。

2の「あち」を「彼方(あち)」等とみるのは突飛な発想に思えるかもしれないが、存外他に用例がありそうだ。和良鹿倉に「アチナカヤ」、白鳥石徹白に「アチ洞山」などである。これを必ず「彼方」と解せるわけではないけれども、地名には存外雑なものがある。「家の上」「家の下」等の小字は、どの家の上下なのか分からないのに名付けている。これでも近隣の者がどこか特定できれば充分地名の役割を果たす。

3の「あぜち」は、郡上においても確認できる地名なので候補に挙げる必要があろうが、「あぜち」が「あち」と省略される例が他に無く、実際に畦地を証明するのは難しい。

現状、私は2の「あち(彼方)」、3の「あひち、あふち(会地)」を中心に考えている。                                               髭じいさん

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