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何故かイヌ

なんの脈絡もない話だが、明け方目が覚めた時なぜか犬のことを思い浮かべていたので披露しようと思う。夢なのか現実なのか分からない。

私は本貫地を含め、これまで一度も犬猫を飼ったことがない。飼っている人の話を聴くと、とても可愛くて癒されるそうな。だからと言って食指が動くことはない。私はどうやら猫アレルギーらしい。我が家にしばらく猫が逗留していたことがある。私を主人と思ったかどうか、膝の上に載ったりパソコンの前に寝転んで邪魔をしたりしていた。しょっちゅう風呂に入れられていたからか、それほどくしゃみは出なかった。犬については皆目分からない。ふと手の傷跡を見て思い出す。私は中学生の頃犬に噛まれたことがある。しばらく犬がトラウマになっていた。今でも殆んど犬に手を出すことはないので、後遺症が残っているかもしれない。

途中から例によって文字の方に焦点が移ってしまう。「犬」、「狗」、「戌」、「犮」、「犭」などが浮かんで収拾できない状態になった。それぞれを細かく説明するとここでは収まらないので、その時に思い浮かんだことだけを並べる。

これまで「犬」、「狗」の使い方をことさら意識したことはないが、凡そ大きいものを「犬」、小さいものを「狗」と解してきた。但しこれについては色々説がある。

「戌(シュツ、ジュツ)」は十二支の十一番目にあたり、動物では「イヌ」に充てられる。恥ずかしながら、私はこれを「戍(シュ、ジュ)」と間違えたことがある。夢にまで出てきたとしたら、これからは大丈夫かもしれない。

「犮(ハツ、バツ)」は器物などを清めるために犬を犠牲にすることを原義とする。犬の血をもって清めたらしい。基となる字はだらしなく垂れ下がった犬の形なので、なるほどそういう意味だったかと納得した。

「犭(ケン)」はご存じの通り、漢字でけもの偏と呼ばれるものだが、これは「犬」の字画を減らした形である。犭偏の字はかなりあるのに、なぜかその時に浮かんだのは「獄」だった。よく見ると「獄」は「犬 言 犬」の形になっている。両犬が見張りをやっているのか、それとも二匹の犬を犠牲にした聖なるところで神が何か言うことを表すのか。

犬は本来どのように使われてきたのだろう。『本草』によれば大型で長喙の犬は狩猟用、よく吠えるものは番犬用、善く肥えたものは食用にすると云う。殷代には犠牲獣として一般化していた。屠った後に犬をどう処分したのかは分からないけれども、共同体で分けて食したのではなかろうか。秦漢代では、陪葬された塑像をみると、食用とペット用に分かれていたと思われる。

そう言えば「然」は犬の肉を焼いている姿である。花咲爺さんの犬は、灰になってしまう点を除けば、これらと殆んど変わらない。                                               髭じいさん

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