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行動半径

まだ九月で途中だが、今年一番遠くまで行ったところを振り返ってみた。西は那比で天気が好ければ毎週通っている喫茶店、南は先月祖師野から美濃市の上保を経て津保川を遡ってきたコース、東は友人の住む寒水である。北は五町へ行ったかどうか。こう考えてみると殆ど郡上を出ていないことを確認できる。これはどうやら新型コロナと関係なさそうだ。行動半径が狭くなったのは年齢のせいではないかも知れない。同世代でも大型のバイクを乗り回し、相当広範囲に動き回っている人もいる。これはひとえに私がどんどん萎縮しているからではなかろうか。

私は青壮年期に「かつ丼時代」と「鰻丼時代」を経ている。庶民が通う定食屋といえど学生にとってはやや高価で、覚悟の上で入ることが多かった。入ってみると横に長いお品書きがあり、左の端は素うどんで右に行くほど値段が高くなる。多くの店ではかつ丼ときて、最も右に天丼が鎮座する。頼むのは左半分が殆んどで、なるべく右半分は見ないようにしていた。殆んどの学生が貧乏なのでそれほど気にならなかったが、それでもかつ丼へ目に入ったものだ。海の傍で育ったからか魚や芋などの天ぷらは結構食べていた。かつ丼は別格で、なぜ最も右にならないのか不審だった。

こんなことでも度重なると憧れから恨みへと進化するらしい。こちらへ越してからはそれなりに食えるようになり、年来の恨みを少しずつ晴らしに行くようになった。心の傷が相当深かったようで、はっきりとは覚えていないけれども、少なくとも十年以上外食すればどこでもどんな時でもかつ丼を食べていた。どこどこのかつ丼は旨いというような話を聞き、出かけて行ったことも一度や二度でない。

やっと恨みを晴らし終わると、次は鰻だった。近頃特に鰻が高価になって高根の花になってしまったが、私の壮年時代はそれほどでもなかった。かつ丼を卒業して次は八幡に引っ越してからも食べられなかった「鰻の時代」へ入る。ところがこれはかつ丼より根が深くなかったようで数年で満足できたように記憶している。

かくの如くまだ元気があり、食べ物などへの欲がある時はよく外へ出かけたものだ。子供がまだ小さい頃は、友人連中でつくる頼母氏を積んで遠くへ出かけることも多かった。仲間との楽しい旅行は年中行事の中でもとりわけ大事なものだった。ここは山の中なので海へ出かけたことが多かったように思う。

新たな知見を求めて旅をするということも無くなった。日々のライフワークで十分苦しんでおり、遠くへ旅する魅力を感じない。郡上近辺の地名やら中世史、古代史に関わるものには今でも多少食指が動く。欲が無くなると、うかうか長生きしてしまうかもしれない。生きている内に旧友と会ってみたいという夢を見ることはある。                                               髭じいさん

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