ミハエル・エンデの遺言

 1999年5月、NHK BS1で放送された「ミハエル・エンデの遺言」の再放送を年末の深夜、観た。ミハエル・エンデという作家は、「はてしない物語」「モモ」などで知っている方も多いと思う。彼の思索について、筆者は殆ど知らなかった。エンデが1995年65歳で亡くなる前年、NHKとのインタヴューで、お金について根源的な問いかけをした事が契機となり、「エンデの遺言」としてまとめられたのが、この番組であった。「パンを買うお金と、金融資本が扱うお金は本質的に異なる。」とか、「商品としてのモノは時間と共に老化するのが自然であるのに対して、交換手段としてのお金は、決して老化することなく在り続けて利子を生んでゆく」といった命題を投げかけた。彼が思索した事は、金融資本主義の在り方についての問いかけであった。共産主義への賛同でもなく、非資本主義についての模索のようにも思える。そこで彼が例を出したのが、1932年不況のさなか、オーストリアの小さな町がおこなった地域経済復興策であった。それは、経済が停滞するのはお金が回らず貯め込まれるからであると考え、”時間と共に目減りする通貨”を発行し奇跡的な復興を遂げた例である。その町が発行する通貨は、一ヶ月ごとに1%の印紙を貼らなければ使えないようにした結果、お金は溜め込まれること無く、町を駆け巡り、町の経済が活性化したというものである。しかし、この試みは、オーストリア政府の禁止令により1年で廃止され、殆ど忘れられた。が、現在、これに似た試みが世界各地で行なわれている様子を番組は紹介していた。それは「地域通貨」の様々な試みである。例えば、アメリカのイサカという市では、10ドル=1アワー(時間)という通貨を発行し、様々な労働や商品の対価として交換することが出来るのである。その地域だけの通貨のため、市場残高はわずか800万円ほどだが、常に流通する事により2億円以上の経済効果を生んでいるという。日本の貨幣制度の問題とうまく折り合うかどうか、経済オンチの筆者には難しい問題だが、市場経済、地域活性化、などについて、年頭に当って、その可能性を考える良い機会であった。詳しくは以下のURLを参照されたい。http://www3.plala.or.jp/mig/whats-jp.html 

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