音楽のはなし

 今日は音楽のはなし。僕の場合音楽の発表の仕方は2種類あります。ひとつはコンサートなんかで「えいやっ」と元気よく瞬発力で乗り切るもの。もう一つがスタジオに籠もりじっくりていねいに作り上げていく持久力を必要とする方法です。瞬発力の方はもう良いも悪いも一発勝負なのであれこれ悩んでいてもしょうがないのですが、問題は持久力タイプの方で、これは「どっちが良いか」の二者択一が延々続きます。判断する人が一人の場合はまだいいのですが、たとえばバンドの場合、二人いれば二種類の、三人いれば三種類の好みが存在します。どちらかを選ぼうとするときに意見が分かれない方が不思議です。そこで戦われ、研ぎ澄まされて選択されていった音は当然クオリティの高いものになります。一方メンバー達は戦いに疲れ消耗していきます。良いバンドが解散などをするときにはこういう消耗が原因になっていることがよくあります。僕もそういう戦いをいくつも経験しました。激しく戦ったときの作品は今聴いても色あせない魅力を保っています。
 もうひとつスタジオの現場で複数の人間がいる場合があります。例えばディレクターとかプロデューサーとか呼ばれる制作の責任者達。それにCMなどの場合にはクライアントというえらい人などがいます。僕から見るとオトナの人達です。そういう人達とも意見が食い違うことがあります。オトナの人達が無能だったりすると状況は悲惨なものになります。みんながいろんなことを発言してより安全な方向へ、の選択がなされて行きます。最後に残るのは何の引っかかりも魅力もない陳腐な音の羅列です。
 そういうものは後々まで悔いを残します。あるいはCMでは苦労して作り上げたモノが音楽には素人であろうと思われるがしかしゼッタイの権力者であるクライアント様の一言で大どんでん返しが起こったこともあります。もうこの様なときはもはや「あはは」と笑うしかありません。
 後悔しないためにはこの場合も戦わなくてはなりませんが、こちらはかなり空しいモノがあります。高めていく戦いでなく、低めないための戦いですからね。そしてまたミュージシャンは消耗します。作品を生み出す能力の限界が来て引退して幸せないくミュージシャンってそんなにいないんじゃ無いかって思います。ほとんどは戦い抜く体力が無くなって止めて行くんじゃないかな。
 なんて書いてますけど、戦うのも結構好きなんで楽しんでやってたりします

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