東京タワーへ

 東京で暮らし初めて24年、はじめて東京タワーというものに登ってきました。エレベーターでだけれど。神谷町の駅を降りてしばらく歩くと左手にそれはででーんと現れました。何度も見ていたはずなのに、一度もきちんと見たことのない勇姿でした。そして我々が登ろうとする展望台は遙か150メートルの彼方、さらに特別展望台は250メートルの高みにあります。あんなところまで果たして生身の人間が登っていって良いものだろうか、と早くも僕の両足は萎えぎみであります。
 いきなり上の方へ行くのも少しアレなんで、家族を説得してまずは一階の水族館に行くことにしました。ウツボやナマズや肺魚やピラニアなどに力を入れたなんとも妖しいラインナップでした。それぞれの魚が販売もされているらしく値札が付けられていたのが興ざめでしたが、それもその魚の希少具合を表していると思えば有効な情報ではあります。
 異形の魚たちを見つめ続けていると不思議な気持ちになってきます。今日、今もこのヘンテコな生き物はその生を生きているのだということが不思議なリアルで迫ってきます。アマゾンではこんなに鼻の長い魚が普通に日々を送っていること、泥の中では肺魚が肺でもって呼吸をして暮らしを営んでいること、アジアの大河の淀みにはかくも巨大なナマズが潜んでいること。どれもがこの地上で今も繰り広げられている日常であることに思いをはせて、その絶えざることを祈らずにはおれません。
 さて、いい具合に日も傾いてきたのでいよいよ展望台に登ることにしました。まずは150メートルの大展望台。一分たらずでエレベーターに運ばれて耳がつーんとなりました。思ったほどの恐怖は覚えませんでした。夕暮れの東京のパノラマをひとしきり堪能した後お土産屋さんをのぞいたりして、さらに上の特別展望台に行きました。「特別」です。普通の人ではない特別の選ばれた人たちだけに許された展望台は高さ250メートル。ここを制覇すれば僕にとってはもうエヴェレストに登ったも同然です。さすがにそこまで行くと強風に少し揺れたりもします。「おおっ」などとかすかに動揺しましたが、僕は大丈夫でした。もしかすると長年つきまとっていた高所恐怖症の呪縛から僕は解き放れたのかもしれません。新年そうそう喜ばしいことではありませんか。高いところが怖くなくなれば僕の行動範囲はずいぶん拡大されるはずです。今まで行けなかった高い木にも登って今まで採ることの叶わなかった虫を追いつめることも出来ようと言うものです。250メートルの高みから僕は広がるかもしれない我が身の未来というようなものに思いを巡らせておりました。本当に高いところが平気かどうか、今度はジェットコースターでもって確かめてみよう、などと野望も抱いておりました。「まずは郡山のカルチャーパークの、あの子供用のジェットコースターからだな。」とひそかに息も荒くなっていたのでありました。
 「高所」を克服した僕は子供にせがまれて蝋人形館などという所にも入っていきました。噂には聞いていましたが、ものすごいへんてこ具合でした。歴代いろんな大統領やガンジーやマザーテレサやブラピや猿の惑星や長島や王が身じろぎもせずに佇んでおりました。お客さんはうちの家族だけでしたので、身じろぎなどされたらちょっといやだったかもしれません。そしてどれもが「似てねー!」のであります。「似ている」ということを目的とせず、他の崇高な何かを目的としているかのような堂々たる似てなさっぷりでありました。これは何かを思い起こさせます。そう、年末に必ずニュースで流れる世相羽子板のあの似てないキャラクターに通じる超然たるすっとこどっこいなのでありました。
 そしてこちらのスケールはとどまるところを知りません。ダヴィンチの「最後の晩餐」ではキリストにしゃべらせたりもしていました。大丈夫なのでしょうか。そしてビートルズ。うーんすごい。ボールは遠くを見つめ、ジョージは青白く、リンゴはバンドの行く末を案ずるかのような困惑の表情。ジョンだけがあの平べったい笑い声が聞こえてきそうな不思議な笑みを浮かべています。見つめていると闇の世界に連れて行かれそうになります。隣にあった「子供は気を付けて」の中性の拷問部屋はそんなに恐ろしくもなく、家の子供はけらけら笑いながら見ておりました。僕はビートルズの方が怖かったなあ。
 最後に現れたのが「インロックブース」というロックミュージシャンばかりを集めた部屋でした。ビートルズはこの部屋に入れなかった、というところに制作者の思惑が感じられるのでありますが、さもありなん、の人選でありました。リッチー・ブラックモアやキース・エマーソンなんとか解るとしても、ロバート・フリップ、イアン・アンダーソン等の蝋人形の普遍性のなさはいったいどういうことでしょう。ジャーマン・プログレの一角はもう僕には手も足も出ません。マイナーなプログレに強い小峰が「あ、この人知ってるかもしれない・・・。」とつぶやく程度です。ここを訪れる多くの善男善女、老若男女にとって、これほどまでに接点のない「モノタチ」も無いのではないか、と思われます。ここを作った人のロックに対する思い入れのものすごさ、あるいは何も考えて無さっぷり、というものに感動すら覚え、しばし呼吸も忘れました。
 すっかり暗くなった外に出ると、長ーいため息が出ました。水族館といい蝋人形館といい、万人に受けることが至上とされる今の日本にあってなんと潔い孤高のありようでありましょうか。すごいぞ東京タワー。ちやほやされまくっている六本木ヒルズを少し見下ろす位置に立ちながら、あまり顧みられることも無しにそれでも淡々と在り続ける東京タワーに、僕はなんだかとても共感を覚えました。同時に、もう来ることは無いだろうな、もう来なくて良いな、というのも実感ではありました。

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