ちぎり

喫茶店で出てきた話。峠道に「智切(ちぎり)」というところがある。私は一度も行ったことはないが、東の西乙原などから藤巻山を経由するルート、南東の粥川からのルート、及び西北にあたる那比からのルートが交わるあたり。いずれも尾根道で、それぞれ西乙原の藤巻山、粥川の那比方、足瀬から一時間ほどの行程らしい。
尾根道にあるからさほど広いとは思えないけれども、地名が付いているぐらいだから、それなりの空間があるのだろう。「ちぎり」という響きが印象に残ったので、思いついたことをまとめてみた。通常、「ちぎり」には「期」「要」「約」「契」などの漢字をあて、約束の義である。中でも、男女のそれを指すことが多い。第一印象は二つ。
1 各地の若い男女が出会い、夫婦になる契りをする。
2 それぞれ村の境界などのもめ事を治める約束をする。
郡上踊りは、中世の踊り念仏を原形にしているといわれており、早くから若者の出会う場所ともなっていた。これが成立してからは、それぞれの鎮守や寺へ出かけて踊ることが多くなったにしても、それ以前はどんな風だったのだろう。
若い男女は、どんな苦難があっても、引き合うものらしい。集まる場所が峠道にあったとしても不思議はない。各地から若者が集まり、歌垣みたいなものが行われたのかもしれない。時満てば、親たちも出かけることを引き止めなかっただろう。そこで気に入った者同士が夫婦になる「ちぎり」をする。
私は、このあたりでは、尾根道が境となったことが多いと考えている。尾根筋にある「平(だいら)」では、いずれの力も及ばない意味があっただろう。
因みにこの尾根道は、山田庄と吉田庄ないし気良庄との境界であった可能性がある。修験道はこの隙間をついているとも言える。恐らくこのあたりは、炭や薪などの燃料、木の葉などの肥料、栃の実など山の幸が豊富であり、各村が競合する場所でもあっただろう。狩りをすれば、境界を越えてしまうこともある。なにやかやと争い事の種はあるもので、これを激しくさせないためには、何らかの約束事が要るわけだ。近世になると百姓一揆などで各村が協力することが必要になり、どこかで会うとなれば、このあたりは集合場所としてよかったかもしれない。
次に、腰を据えて、コーヒーをすすりながらこう考えた。
娘が粥川から嫁入りする昔話が那比にあり、確か源蔵峠を越えてからだったか、途中で嫌になり帰ってしまう。今で言うマリッジブルーというやつかもしれないが、親が決めた話なら、こんな我儘なことはなかろうから、早すぎた「ちぎり」を悔いたのかもしれない。歌垣となればある程度の広さが必要だろうし、各村の有力者が集まるとなると通行の便が気になる。いずれ、踏査してみたい。

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