長生き

本邦は二千年ほど前に長寿だと伝えられている。途切れた時代もあったろうが、また敗戦後になって世界トップクラスの寿命を記録してきた。だが上手に長生きするのは難しい。
私はこの「恩恵」にあずかるなど思いもよらず、何の準備もしてこなかった。ことに穏やかな田舎生活が長くなると、主観とは別に、無為の繰り返しのように見える。うかうかすれば、このまま朽ちてしまいそうだ。毎日充実し、都会の真っただ中で生きていれば刺激が多いかもしれない。
おちついて人生の濃淡を語るのも気恥ずかしいので、モデルと比較しながら要約してみよう。『禮記』に「人生十年曰幼學 二十曰弱冠 三十曰壯有室 四十曰強而仕 五十曰艾服官政 六十曰耆指使 七十曰老而傳」(曲禮卷第一)という文章がある。
大昔とはいえ、当時のエリート像を髣髴とさせる。なかなか充実した人生である。若い人も読むかもしれないので、長めに引いておいた。
これは男社会の男性を念頭に置いた文章であり、違和感を持つ方もいるだろう。また、寿命が違う現代と異なるかもしれないが、敢えて基準としてみた。
「幼年から学問を積み、二十で初めて官吏となる。三十の壮年ともなれば嫁をもらい、四十は精神と肉体ともに最強となり官として仕える」。
ここらあたりまでは上り調子の人生と言ってよい。サラリーマン感覚ではどんなものだろう。実際のところ、分野によって異なり、一概に言えそうにないか。
これからいよいよ老境に入っていく。「艾」は鄭玄注に「艾 老也」とあるので、「五十になれば、老いてお上の意向に服する」と読めそうだ。更に、「六十で退官して耆老となり、事を指さして人を使う。七十ともなれば、家事はすべて子孫に任せる」あたりでどうか。後半部分なら、けっこう今とも共通する。
一連として考えてみると、立身出世して良い仕事をし、それなりに評価されて退官する。その後は、指示する立場になり、族の一員として貢献する。これらをやり終えて家事を全て任せてしまえば、やっと私事に専念できるというわけだ。これらはお役人として、人生の成功者となる道程だと気づく。
お役人でないとしても、青壮年代によい仕事をし、肉体の衰えるに従って仕事を離れ、晩年は家事をすべて子孫に委ねる。流れるような段取りではないか。
私などは、こうはいかない。壮年期から今に至るまで同じような生活をしてきたので、時間が止まったように感じることがある。精神はそれなりに安定しているものの、肉体の衰えが目立つようになった。視力が落ち、姿勢が悪くなり、注意力が散漫になってくる。徐々に肉体が滅びていくにつれ、空しさが押し寄せてくる。
だがまあ、これまでも肉体と精神は乖離していたのだから、相変わらず老いを楽しめそうな気もする。

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