撞木(シュモク)

郡上踊りの「かわさき」の中に、「鐘が鳴るのか撞木が鳴るか、鐘と撞木と合うて鳴る」という文句がある。「鐘」は「かね」と訓で読み、「撞木」は「シュモク」と音で読む。私は郡上にいて郡上踊りに疎いが、何人かに確認してみたので大丈夫だ。

「撞木」はまた木偏で「橦木」、金偏で「鐘木」につくられることがある。「撞木」は手偏だから手を使って鐘を鳴らすことを、「橦木」は鳴らす材料が木製であること、「鐘木」は「鐘」をつく点をそれぞれ強調しているだろう。

それではなぜ「撞」を「シュ」と読むのだろうか。音符である「童」から見ても「撞」は「トウ」「ドウ」であって「シュ」とは読みにくい。

例えば『説文』で「鍾」(十四篇上034)「鐘」(十四篇上128)はそれぞれ別の字だが、それでも「鍾」「鐘」は混用されてきた経緯がある。「鍾」「鐘」が通用するようになって、「鐘」もまた「ショウ」と読むようになったのだろう。また「種」は「種類」で「シュ」と読むように、「鍾」なら「ショウ」の他に「シュ」あたりで読んでも不思議でない。

「撞」「橦」もこれと同様に考えて「シュ」と読むようになったのだろうか。これでよければ「撞」は旁が「童」でありながら、「重」を音符とみて「シュ」と読み、「撞木」を「シュモク」と読んでいることになる。

郡上八幡に慈恩禅寺という寺があって、山号を「鍾山」と言うらしい。世代が代わり若者が住職の修行をしているところだが、ある時私たちを本堂へ招き、大きな額を見ろと促がすことがあった。「金重山」とは読めたが、不意をつかれて、一瞬何のことか分からなかった。山号の「鍾山」を思い出し、やっと「鍾」を絶ち切って「金」「重」を縦に書いてあると推測できた。彼は山号を「金」「重」に分けた訳を知りたがっていたようだが、瞬時に分かるはずもないし、今となっても案がない。他寺の例を沢山知っていれば見当がつくかも知れないとしても、そんな余裕もないので、そのままになっている。慈恩寺といえば、愛宕神社の別当をしていた時に記されたと思われる幟の件で触れたことがある。その時、禅宗の坊さんは自由だなと感じたたものだ。何物にもとらわれない闊達さを表したかったのかもしれない。

郡上踊りの場合、「撞木」が大きな釣り鐘をつく太い棒なのか、「鍾」や「鉦」を鳴らす小さなものなのか分からない。「シュモク」と言えば、「シュモクザメ」が思い浮ぶ。頭がハンマーの形になっている鮫で、T字形になっている。「シュモクザメ」が「撞木鮫」でよければ、上下両用で小型の木製ハンマーを連想できるがね。                                               髭じいさん

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