相津(あひづ)
会津は「あいづ」「あいず」いづれでも変換できる。「づ」「ず」は発音が区別できなくなって混じってしまったが、本来は「づ」である。だが郡上で「会津」は殆ど「かいつ」であって「あいづ」とは言わない。
『古事記』を読んでいて、「相津」を「あひづ<Ahidzu>」と読みそうな例が二つあった。「あふ」は「会ふ、逢ふ」などを充てることが多く、「相ふ」と読むには多少違和感がある。
だがこれには幾らか根拠があって、『説文』で「相」は「相 省視也 从目木」(四篇上071)となっている。「省視」を「相見」「察視」として、「互いに見る」「くわしく見る」辺りの義と考えて良さそうだ。木偏でなく、「木目」の会意となっているのがミソである。
「相(あ)ふ」とみるとハ行の四段活用となり、「あひ」は連用形だが、「出あひ」など連用形はそれだけで名詞になることがある。とすれば行文上「相津」は二人が互いに見ることができた津、ないし二人が会えた津ということになる。「津」であるから水に関連するところまでは言えるだろう。
郡上に「あいづ」という字(あざ)はなく、岐阜県に広げても無さそうだ。岐阜県では「会津」「海津」は「かいつ、かいづ」である。「会津(かいつ)」は解釈の難しい地名で、郡上では、音を借りて「会」にするだけで本来は「開」だとみる意見がある。確かに人が開拓して集落になったところが殆んどだから一理ある。開拓地名とされるわけだ。ただこれならば「開」「平」とすればよいだけの話で、わざわざ借りて「会」にする必要もあるまい。そこで人が出会うところ、或いは谷、沢や川の出会いと言うような解釈も可能な気がする。「津」からすれば後者が有力かも知れない。これならば地形地名ということになる。
類語として「かいと」「かいち」も気になる所で、「かいつ」と関連があるのかないのかよく分からない。「かい-と」「かい-ち」とみて「と」「ち」は「土」「地」と解することもできそうだが、これなら音読みとなる。、これ又関連しそうな「垣内(かきうち)」「垣外(かきそと)」の音変化とみれば「内」「外」の訓を省略したことになる。「垣」にしても未開拓地を併せ囲っているとすれば、これを開発するのは当然の流れと考えられ、後に「開土」「開地」と解釈されても不自然ではない。
「相津(あひづ)」を振り返ってみれば、二人が互いに会うことができた場所と言う意味が強調されている地名説話になっているが、実際はこれ以前に存在していた地名であって、谷沢や川が出会う地形地名でなかったか。中部圏から全国に広げても会津を「あいづ」と読む例が稀であることから、本来「かいつ、かいづ」と呼ばれていた可能性があるように思う。漢心(からごころ)に犯された者のささやかな疑問である。 髭じいさん