「室(むろ)」の続き(1)
今年の正月(2022年1月31日)に書いた「室(むろ)」の続きである。前年の暮に行った温泉行は豊作で、様々な課題が生れた。その後も「室」の古い用例を探してきたが、ここでは『古事記』の用例を二つ示そうと思う。
1 「故 到于熊曾建之家見者 於其家邊軍圍三重 作室以居 於是言動爲御室樂 設備食物 云云 乃追至室之椅本」(景行記)
2 「自其地幸行 到忍坂大室之時 生尾土雲八十建 在其室待伊那流」(神武記)
今回はこれらを取り上げた後に、諏訪大社の一角にある「御室(おむろ)」と比較してみたい。さっそく検討してみよう。1の「御室」は「みむろ」と読まれることが多い。また2の「大室」は直後に「意富牟盧夜」と歌われているのと対応しそうで、「大室屋(おほむろや)」とすれば、「室」を「むろ」と解しても大過あるまい。以上から五例全て「むろ」と読んでよさそうだ。
1はヤマトヲグナが女装して御室で行われていた宴にもぐりこみ、隙をついて熊曾建兄弟の兄を劒で刺し、更に階段の下まで逃げた弟を討つ話である。変な話だが、討たれた弟の方から「倭建(ヤマトタケル)」と言う名を与えられている。
2の「生尾土雲八十建」は「尾ある土雲」と読まれる。「土雲」は文化の低い土着民と解されるように、東征の対象となった部族と見られる。食を与えると偽り、多くの人が集まっていた大室で久米の子らが彼らを襲う。
この二つはヤマトタケルの英雄譚と神武東征中の事件であって、それぞれまつろわぬ種族や部族を討つ話である。そして何故かどちらも「室(むろ)」で宴するところを急襲することになっている。私は「室」につき、字形から矢を放ち死者を葬る場所を占った地に屋根をかぶせた恒久の建物と解した。岩屋などもこれに類すると考えてよかろう。「椅本」からすれば、階段を上って行く神聖な場所だったかもしれない。
この場合死者が親など近親者だとしても、代を重ねれば祖先となるし、祖霊を守るしっかりした施設だっただろう。つまり土雲や熊曾は祖先を祭る場所で、恐らくは物忌み明けなどで大勢が宴をしている最中を襲われたことになる。
諏訪大社の祝(はふり)と守矢神長官が祖先を祭るために籠る場所がやはり「御室」である。ここで祀られているのは恐らく建御名方(タケミナカタ)神で、天つ神系の建御雷(タケミカヅチ)神により諏訪まで追い詰められたことになっている。
これらからすると「室」は國つ神系の祖先神を祭る構造物だったと解せそうだ。「室」が共通の文化だとすれば語本来の義が残っていることになり、「むろ」は勝者である天つ神系からの呼び名に過ぎなかったのではないか。この辺りまでは天つ神系と國つ神系の争いがはっきりしている。 髭じいさん