穀見(こくみ)

前回に続き語尾に「見」がつく地名を取り上げる。深見(ふかみ)、更見(ふけみ)など殆んど「訓-訓」になるのに対し、穀見だけ「音-訓」の重箱読みになっているのが腑に落ちない。

もう少し整理しておくと、「セビガホキ」は「瀬見が歩岐」とすれば「瀬-見」はどちらも訓で読まれている。この他久具見(くぐみ)、深見(ふかみ)、高見(たかみ 八幡小野)も同様である。ただ大間見(おおまみ)、小間見(こまみ)は、「ま」を「馬(マ)」と見る説があるので注意が必要だが、これも文字通り「間(ま)」とすれば例外にならない。

「音-訓」について悩んでいたところ、年末に我が家へ来てくれた姉弟の言う事で何だか解けそうな気がしてきた。私が穀見について糸口が見つからないと告げると、関連するかどうか分からないとして、次のような話をしてくれた。

彼らは穀見の出身で、彼らの祖父から、穀見の「穀」が獄門の「獄」に由来すると聞いていると言う。二人とも聞いていたようで、その点は確かである。

これならば「獄(ゴク)」が音なので筋が通っている。また穀見の小字が「コクミ」と片仮名で表記されることがあったようで、その理由も納得できる。

「獄」は「斬首の後、刎ねた首を獄門台に据えて三日間見せしめとしてさらす刑罰」あたり。宝暦の一揆で江戸へ赴いた者のうち、江戸で斬首された三人が穀見野で三日間その首を晒された。

ならば「獄見」が原形で、旧仮名遣いでは濁音が清音にされるから「コクミ」となり、大字の稲成に関連させて「穀見」と表記されるようになったのではないか。

穀見野はこれに先立って刑場であったらしい。この百姓一揆の前に遡る慰霊碑が残っていると云う。これでよければ、なぜ一揆に立ち上がった者達をここで晒したのかが分かる。

穀見野に立ってみれば、その理由の一部が見えてくる。長良川はこの地で大きく西側へ振れている。大水が出れば、曲がり切れず、そのまま穀見野に入り込む構造になっている。二十年ほど前だったかの大水で、山側の集落を除き、穀見一帯が水浸しになったことがある。「やっちく」では「穀見ヶ原」と呼ばれており、かつては河原たる所だっただろう。刑場にした所以がここにある。

なぜ「コクミ」という音を遺したのかについて触れておかねばなるまい。「穀見」という好字に変えたと言っても、そのまま音が残っている。近辺には恐らく「血取り場」を「千鳥」から「千虎」、また「葦原(あし-はら)」を「吉野(よし-の)」とするなど、音義を変えてしまう改名の例がある。

罪人として首を晒された者達の執念に対する畏怖、自分たちの代表であるという畏敬の念。やはり郡上一揆に誇りを持っていたからではあるまいか。手を合わせたい。                                               髭じいさん

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