オカネと清貧

バブルがはじけて2年ほど経った頃、「清貧の思想」とかの本がベストセラーになった。この本の解説と最初の2~3ページを読んだだけだが、あえて言いたい。 内容はカネモウケとかの世俗を離れて清く孤高に生きた人の話らしいがイカサマ的といえる。 なぜかといえば、カネモウケなどに関わらず“清く”生きたというが、その生きるためのカネはどこから出たのか? 1:親からの遺産、2:金持ちからの贈与、3:年貢という搾取、しかないだろう。 いまようにいえば、1=かねもちのドラ息子、2=ヒモ・寄生虫、3=ピンハネヤクザとなる。 ご当人さまは“清貧”かもしれないが陰で支えた者はカネモウケの苦労と努力をさせられたのだ。 このようなオモテの良いところだけを時流に合わせて引っぱり出し、ひけらかす文化人こそが、「きのう偏差値、今日バブル、明日は清貧、グローバル」の精神的な浮浪者、マインドレスと思う。 今、清貧といえる生き方をしたいなら、カネは人並みか、それ以上にかせぎ、生活は人並み以下、あまったオカネをベンチャー事業にでも寄付することだろう。 なぜならベンチャーは次の世代のSONY・HONDAとなり富をうんでくれるからだ。

前の記事

オカネを考えよう

次の記事

ノーベル賞