或る人物

 「奥鬼怒の山小屋のオヤジに云わせると、岩魚釣りの名人であり、草津・奈良屋のスケさんに云わせると、フランススキーの達人であり、新宿のバーのマダムの見るところでは、ホレボレするほどのギターの上手、さる考古学者の見解では、人類学の隠れた逸材であり、美術出版社N氏の慧眼には、エスプリのある現代画家に映り、われら詩人仲間にとっては重要な屋台骨である」と山本太郎が云っている或る人物とは辻一(つじ・まこと)氏の事である。1913年東京に生まれ1975年62歳の生涯を閉じた。思想家辻潤と作家伊藤野枝の長男として生まれた。母は彼が3歳の時、社会主義者大杉栄のもとに走り、10歳の時、大杉栄、野枝夫妻は、甘粕憲兵大尉によって虐殺された。中学生の途中で退学し、父親とともにパリに行き、ルーブル美術館のドラクロアの絵から打撃を受け、画家になることを断念した。筆者が彼の存在を知ったのは70年代の前半、山の雑誌「岳人」の侮・フ絵からであった。彼の著作は数点あり、「居候にて候」「山で一泊」「山と森は私に語った」「山の風の中へ」「虫類図譜」などの画文集や、風刺マンガなどがある。辻まことの言う、「作品を取り除けてなお後に価値のある人間」がまさに彼の存在である気がする。「作品」を「肩書き」に換えて考えればわかりやすい。彼は「肩書き」を拒否し、死ぬまでアマチュアとして生きた。

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