役者という稼業
最近、クボヅカという役者さんが気になっている。ずいぶん前に妹尾河童氏の「少年H」でゲイの青年を演じているのを見て、美しい役者だなあ、と思っていたんだけど「池袋ウェストゲートパーク」のタカシ役で、すげー、かっこいい。にランクアップしたのだ。
そのあと、「GO」やら「溺れる魚」やら「ランドリー」などを見まくっている。家族も呆れるのめりこみようだ。
それにしても、と思う。役者というのは本当に大変な稼業だ。仕事を通じて知り合いになった役者さんたちは、みんなとても過酷な状況の中にあってたくましく役者であり続けている。彼等に比べるとミュージシャンなんかずいぶんとぬるま湯につかっているような気がする。しかし、それでも続けられるのにはやっぱり訳があって、「演じる」という行為になにか麻薬的な魅力があるようなのだ。
こんなことを思うのは、先日なにがどうなったのか、僕がCMのオーディションを受けるはめになったりしたためだ。ミュージシャンとしてではなく無謀にも役者として、だ。半分ぐらいしゃれみたいなものなので、実際に採用されることにはまずならないと思うんだけど、人生で初めて、いや小学校三年の「きつねの幻灯会」以来の、台詞を言うお芝居、である。僕の台詞はたった五音節くらいのわずかなものだったが、それでも物凄く緊張した。監督にじゃあ、やってみてください、などと言われた時は「服を脱いでみて下さい」と言われたかと思うほどにどぎまぎした。やってみた。案の定、ひどい出来である。ビデオで撮りながら進めていくので自分でもひどさというものが露骨に解る。五回、初?Aと回数を重ねて気のせいかも知れないが、言い回しのコツのようなものが幽かに見えたような気がした。二初?レくらいで気のせいかも知れないが、すこーしだけ楽しくなってきた。けれど、世の中は僕の役者としての成長を待つほどにはのんびりしていない。「はい、オーケーです。」というのはつまり「はい、もういいです。」の意味だったに違いない。
しかし、あの、ほんの少しだけ感じた演ずることの魅力、あれこそが、いやおうなしに演劇の世界に入り込んでしまう魔法の切符なんだろうな、と思う。役者のみなさんは僕の感じたあれとは比較にならないほどのヨロコビをみんな味わってしまったのだなあ、と思う。そしてその瞬間からもう演劇ヨロコビ天国役者の地獄、から抜けられなくなってしまったのだ。ああ、おそろしい。過酷な環境に耐えられるのもその先にあるはずのあの快感があればこそに、違いない。ああ、げに恐ろしい。
そして、うらやましい。