ZABADAKは武力行使に反対します

 二月の最後の日、「イラク攻撃と有事法制に反対する演劇人の会」というものに参加しました。僕は演劇人ではないのですが、三年ほど活動を共にしているLaCompagnie A-nという劇団に「おつき合いで」というような結構軽いノリで出ることにしました。ZABADAKの曲を一曲と、A-nのレパートリーを二曲、だけだったので「楽勝」の気分でいたのですが、とんでもありませんでした。演劇人達の反戦の思いは大変に真摯なもので、戦争によってむごい人生を強いられている人々についての朗読劇を聴くうちにとてもつらくなりました。僕の順番が来ました。「遠い音楽」を歌ったのですが、こんなにヘヴィーな状況で歌うのは初めてです。物理的に肩が重くなり、手も足も震えてしまう有様でした。なんとか歌い終わりましたが、たっぷりワンステージぶんの疲労を覚えました。あの肩の重みというのは、待ちかまえている嫌な現実への拒絶反応だったのかもしれません。
 アメリカの、というよりごくごく一部の大金持ちのアメリカ人のやろうとしていることは、世界中をじつにヘヴィーな状況に陥れかねないのだということを理解すると、とても歌なんぞ歌えたモノじゃないんだけど、それでもおいらに出来ることは歌を作って歌を歌うことなので歌を作って歌を歌おう。と、念仏のように思い続けておりました。
 それにしても、これまでもずいぶんと理不尽なことを言い続けてきたブッシュ大統領だけど、イラクんところの弾道ミサイルを廃棄させておいて、そのあと、武力行使に踏み切ったとしたら、それはもうどうにも言い逃れようのない「ずる」じゃないんでしょうか。ケンカ相手の手を縛っておいてからけんかを始めるのと同じじゃないでしょうか。
 僕の知っているアメリカ人はフェアネスということをとても重んじる人達でした。ユーモアに溢れ、スケベで大酒のみの彼らは、たとえ遊びの場であっても一切の「ずる」を許しませんでした。僕はそういう彼らが大好きでした。
 化石燃料業界のえらいさんやらキリスト教原理主義者の気狂いじみた欲望でもって、アメリカが変質していくのを見るのはたまらなく悲しいことです。そしてそんなわけのわからん思惑のせいで嫌な世の中に巻き込まれていくのもまっぴらです。
 僕はアメリカのイラクに対する武力行使に反対します。査察を継続するのも良いと思うけど、いっぺんアメリカを査察したらどうか、と国連には言いたいところです。
「イラク攻撃と有事法制に反対する演劇人の会」
http://www009.upp.so-net.ne.jp/paix/

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