2003年沖縄日記

 山に行けば昆虫が、海に潜れば魚や貝やワケの分からないモノが、とにかく沖縄ではたくさんの生き物に会うことが出来る。命がそれだけあるということはそれだけの死もあるということだ。食べたり食べられたり、大変な早さで命の交換がこの場所では行われている。命が生き生きとしているということは死もまた死に死にしているということだ。なんだかよくわからないけど。
 沖縄は意外なことに自殺率が高いらしい。長寿の県で南国に生きる人々にはあまり似合わない感じだけれど、何か解るような気もする。人の思考を停止させるような日差しと、蝶が舞い珊瑚に魚が群れる楽園のような自然は、僕をむしろ既に彼岸にいるかのような気分にさせる。日常が生命に満ちあふれているこの場所では死もまた日常だ。ひょいと一歩を踏み出すと、この瞬間の現実とさほど違わないあちらの世界に行ってしまえそうだ。
 7月27日、近所のS家と一緒に沖縄に向かった。子供達は仲間がいてとても嬉しそうに仲良くやっていてくれるので、大人達も平和な気持ちで昼ビールを飲んだり出来る。那覇で車を借りて午後6時ごろ本部半島の宿にたどり着いた。幸せな初日宴会が夕焼けの中始まるのだった。
 2日目、S家と瀬底ビーチに出掛けた。まずはみんなで夏の海を満喫しよう、ということだったのだけど、沖縄の夏は迫力が違った。海は素晴らしく、ハリセンボンやらツノダシやらいろんな 魚が見られて子供達も大満足だ。しかし2時間もするとみんなの顔から生気が失われていった。なにかこのままじゃイノチが危ない、そんな感じがしたのでとりあえず日陰に移動して水分の補給などをした。
 今回の旅行は本島だけに滞在する。いつも石垣や西浮フ離島方面に行っていたので僕たちは本島の本当の実力をいまだに知らずにいる。二諸Nも昔、名護に泊まったときにもっと山の中に行きたいなあ、と切実に思ったので今回吉良家はやんばる方面を目指すことに決めていた。夏のリゾート満喫、を目論むS家は午後もここで過ごすというので寂しいけれどここでお別れ。
 本部半島の真中あたりにいたので今帰仁城跡に寄ってみた。ここは秋にはフタオチョウが見られる、という虫的にも魅力的な場所なのだけれど、今は季節も違うし、そういうことを抜きにして、それでも素晴らしいところだった。美しい曲線を描いた石組みの城壁はなにかとても神聖なものを感じさせる。アイルランドで見たドルメンなんかにとても雰囲気が似ていた。標高約100mの石灰岩の丘の上に建てられた城壁からは迫力のある原生林の谷を見下ろすことが出来、高いところが苦手な僕は早くも下半身に戦慄をおぼえた。しかし、この膨大な数の石のカタマリを1300年前にえっさえっさとここまで運び上げた人達、というのがいたわけで、そういうことをさせられないで生きていられている自分の幸運を思わずにはいられなかった。
 そして一気に北を目指す。今日の宿はオクマ・プライベート・リゾートというホテルだ。海に面してはいるが、海岸のすぐそばにまで山が迫っており、やんばる探索には絶好の拠点になると思われた。夜にはホテルの明かりに様々な虫が集まる、というような情報も得ていたので、否応なしにアクセルを踏む足にも力が入ろうというものである。
 チェックインを済ませ、腹ぺこのワレワレは近所の居酒屋に繰り出してまずはやんばる初日をオリオンの生、で祝った。コドモはオレンジジュースで。
 三日目。そそくさと準備を整え、いざ、やんばるへ。本島北部を横断する国道二号線を進み、途中で大国林道に入る。やんばるの森にこんな道が必要なのか、とかつて非難の嵐を浴びた道路だ。こういう道があるおかげで僕たちのようなヤワな虫採り家族もやんばるの奥深くに分け入る事が出来る、というのも事実で、すこし複雑な思いを抱きながら山道を登っていく。しかし、頭上をコノハチョウが飛んでいったりするのを眺めていると頬の筋肉が抑えようもなくゆるんできてしまうのだ。「にやにやしてるよ。」と小峰に指摘されたりするのだ。大国林道の中程で誰かが仕掛けたバナナトラップを見つけた。バナナをぐちゃぐちゃにつぶして泡盛をたっぷりとかけ、一晩おいたものをストッキングに詰めて木にぶらさげる、という秘密兵器だ。発酵したバナナと泡盛の強烈な匂いは辺りに住む飲んべえの虫達をたまらなく惹きつけてしまうのだ。ずいぶん前に仕掛けられたと思われるそのトラップはもう人に解るような匂いは発していなかったけどそれでもコノハチョウとその他数種のタテハチョウを集めていた。さらに持参した泡盛を口に含み霧のように吹きかけてみると、驚くほどたくさんのタテハ科の蝶が集まってきた。ああ、これだ。この景色を見たかったんだおれは。濃厚なやんばるの空気の中で、タテハチョウの群に囲まれながら僕の幸せは頂点に近かった。
 やんばるの土壌は赤土で、深い森を形作る原生林以外の乾燥した森は、同じ赤土で出来ている名古屋あたりの森と驚くほど似ていた。僕が少年時代を過ごした赤茶けた名古屋の大地とこのはるかなやんばるは実にそっくりだったのだ。原生林を抜けると松を主体としたなんだかつまらない感じの森が続く。この乾燥した森はどうも林道沿いに広がっているようだ。つまり、舗装された道路によって水の流れが絶たれて、そこを起点に乾燥化が進んでいると、素人の僕は考えてみるのだが、たぶんそういうことなのだろう。林道をこしらえると国から助成金というモノが出るそうだ。産業の少ない沖縄県はこのお金に依存している部分が大きくて、いわばやんばるの森を切り売りして現代の琉球は生きているようなモノだと、なにかで読んだことがある。実際、走っていて何故ここにこんなに立派な道が必要なのだろう、と不思議になるような道を何本も走った。そしてその道に沿って乾いた森が続く。やんばるを殺し続ける林道のおかげでやんばるを満喫するという、抜き差しならぬ矛盾を感じながらのすこし苦いやんばる初日、ではあった。
 林道を車で走ると路上にときどき妖しい影を見つける。これまでの経験では僅かな確率でそれがありがたいクワガタムシだったりすることがあるので、レンタカーのパワーの無さはむしろ有り難かった。時速15キロ程のもっさりした速度で地べたに鋭い視線を這わせながら矛盾だらけのやんばる林道を行くのだ。どんどん行くのだ。車にはカーナビというものがついていたが、この森の中の道は既に道として認識されていない。ルートを探しています、とひっきりなしにわめくので電源を切った。そして僕は路上にくまなく視線を走らせるクワガタナビと化して坂道をとろとろと行くのであった。
 数時間のナビ人間は思いのほか疲労を招いた。ホテルに戻り、子供と一緒にプールに浮かぶとぷちぷちと昼間の疲れが炭酸のように水に溶けていった。やんばるをせいいっぱい楽しんだコドモはここでも元気だ。ちょうど小学校で水泳の授業も始まった後なので、何メートルを泳ぎ切るか、が彼の最大の関心事になっている。プールの縁を蹴って、まだ出来ないので息継ぎ無しで10メートルほどを泳ぎ切る。すごいぞ!と誉めるとなおさらやる気をだして、次はもっと早く、もっと遠くへ、果てしなくがんばり続ける息子に感心しながらも、少しついて行けなくなったお父さんは、「もうそろそろ晩御飯かな」などと言ってせっかくの夕方プールをお開きにしてしまった。僕は体力の使い所を間違っているのかも知れないな。
 晩御飯はコドモのリクエストでホテル内のレストランでの中華のバイキング。しかし、これは大失敗だった。折もおり、御飯時に断水してしまいホテル中で水が使えなくなった。シーズン中のバイキングの人気は凄まじく、次々と料理は消えていくのにそれが補充されない。ゆっくり出掛けた僕たちが目にしたのはカラッポのトレイのあれやこれやだった。ひとつだけたっぷり残っていたカレーを食べてしまった僕は、水が復旧し新しい料理が次々と運ばれてきたときにはもう何かを食べられる状態を過ぎてしまっていた。なんたることか、の大失敗である。家族が美味しそうに中華のあれこれを楽しむのを呆然と眺めながら、心は次の虫採り計画に移っていた。
 すなわち、夜間採集である。もう既に、ホテルの側のめぼしい明かりポイントは確認済みだった。近場のキャンプ場には強力なライトがともっており、必ずやわれらが幸せ昆虫が集まっているに違いないのだ。いつまでもデザートなどを食っている妻子達をこの時ばかりはせかすお父さんである。「はやくしないと、ほら、今何が来てるかわかんないぞ。にげちゃうぞ。」などとおどしたりすかしたり。やっと彼らの食事が終わると夜のやんばるに向かった。キャンプ場はすぐ近くなのでどうと言うこともない平坦な道だった。煌々とともった明かりの下に行くと、早速カブトムシ♂が仰向けになってもがいていた。ヤマトのヤツに比べるとずいぶん小さい。すぐに♀を見つける。これは巨大だ。角がないのに5センチメートルを越える大物だ。おまけにしゃうしゃうと蝉のような声を立てる。こんなカブトムシ今まで見たことない。懐中電灯で草むらを探すといろんな虫が潜んでいた。夜の誰もいない山の中のキャンプ場で「すげー!」とか「こ、これは!」などの声を上げていたのは全て吉良家のメンバーだった。
 遊び疲れてホテルに戻ったわれわれはヨロヨロと自室に戻り、やって来たとても具体的な眠りに引きずり込まれていった。
 次の日もだいたい前日と同じようにして過ごすのだが、早くもオクマ最終日である。わかっていたことではあるが、全然納得がいかない。明日にはもう東京に戻らなければ行けないことに抗議の声を上げたいのだがどこに向かって上げればいいのかがわからない。いつもこうである。沖縄で旅が終わりに近づくと僕はいつもこうなる。人生で一度でいいから、飽きるまで沖縄にいたい。これがさしあたっての僕の夢だ。ぐずぐずと夕日の浜を歩いたり、酔っぱらわないようにちびちびと泡盛を飲んだりしても、やっぱり時間は過ぎてしまう。家族が寝静まった後、ひとりでベランダで泡盛を飲みながら、僕にとっての沖縄との良い付き合い方みたいなことを考えていたけれど、霧のような思考停止がやって来たので寝た。
 最終日、チェックアウトを済ませて那覇に向かう。郡上のライブにも、フランスツアーにさえも参加してしまう沖縄在住のY氏に会うことになっていた。ネイティブの人ならではのあちらこちらに連れていってもらい、数時間の那覇を有意義に過ごそうという魂胆である。Y氏はいつもの屈託のない沖縄笑顔で登場した。ほんもの沖縄アクセントに心がとろける。国道沿いのディープなお店に連れていってもらい、ここで未知の沖縄料理を味わった。ふーちばーのぼろぼろじゅーしー、という呪文のようなゴハンがとても美味しかった。瀬底ビーチで見かけたハリセンボンやオジサンがみそ汁や煮付けになって出てくる。どれもこれも知らなかった味だ。なんだかモノも言わず料理を堪狽オて店を出た。すこし意識が遠くなっていた。ひょいと、越えてしまいそうな彼岸との境がこの時も少し見えたような気がした。幸せな気持ちが登り詰めるとちょっと怖いよ、みたいな感じだ。
 その後、Y氏に連れられて公設市場に向かった。20年前にも来たけれど、Y氏が言うには、「たぶん何も変わってないさあ。その時のおばあがまだいると思うよ。」そのように市場はあった。島らっきょうに海ブドウ、ハリセンボンにヤシガニ、声以外のブタの全てを売るこの市場は記憶にある市場と全く同じだった。あらゆるモノに興味津々のコドモはこれはなに、あれはなに、とおばあたちに質問を浴びせ、試食などもしまくっている。海ブドウが美味しいらしいので、買うことにした。そのあと、僕は東京で10万以上したヘビ皮の三線が3万円で売られていたのを見つけてしまった。しばしそれを試奏させてもらう。旅先での弦楽器は「はずれ」が多い、のだが今回は良いような気がする。なにか呼ばれている気がするんだ。そう家族を説得して購入。
 ああ、もう空港に向かう時間だ。Y氏との別れもそこそこにどたばたとレンタカーを返して空港に向かった。むしろ感傷に浸る間もないこういう展開の方が有り難かった。なまじ考える時間があると、東京に戻れるのかどうかが心配になる。
 何故僕は東京に帰りたくないんだろう。何故沖縄がこんなに羨ましいんだろう。帰りの飛行機がガラガラだったのでひとりで窓の外に光り続ける雷を眺めながらそんなことばかり考えていた。彼の地は楽園ではない。日常を生きるのはY氏も言っていたが、大変なこともたくさんあるらしい。その大変さ具合はおそらく東京も同じだ。要は大変さの挙げ句にある、言ってしまえば死んでいく時の満足の度合い、のようなことを僕は思っているのかも知れない。我が儘で欲張りな考えかもしれない。でも、沖縄に惹かれる僕の気分はそういう心のせいだ。
 僕は揺れる飛行機の中で考えていた。死は東京では、意識しないほうがイイもの、忘れているべきモノである。沖縄では死はあけっぴろげだ。日常をたくましく生きるおじいやおばあが教えてくれる。「生きたら死のうねえ。あたりまえのことさあ。なんくるないさあ。」死のあり方の心地良さ、それこそがたしかに彼の地にはあるなあ、とうすぼんやりと考え続けていた。