天職

私は、若い頃のバイトを含めると、かなりの職種を経験している。子供ができてからでも、幾つか変わっている。だから、一つの職業を継続してやり抜いている人からすれば、尻の軽い奴に見えるだろう。実は、その通りである。
私は、どんな仕事に就いても、それなりに真剣には取り組んできた。だが、クビになったり、引越しなどで、仕方なしに転職したことが多かったように思う。
クビになるのは、私の都合ばかりではない。会社の決断であるから、私の能力が足りない場合もあるし、私が邪魔になることもあっただろう。
私は、職業を単に金を稼ぐ手段とは考えていない。自分がいささかでも有用とされれば、例え気に入らない職種でも、元気よく働いた。しかし、サービス残業などの奉仕を要求されると、考え込んでしまう。私は仕事のために生きているのではないからだ。
仕事は、私にとって欠かせぬ一部ではあっても、全てではない。私には趣味や功名心をも仕事に負わせることはできないのである。
生きるには、金が要る。子供を育てるにも、それなりに金が必要だ。しかし、金は必要な分だけあればいい。私は、自分が楽しいことを優先させてきた。決して豊かな生活ではないが、それなりに娘も育ったし、孫の顔も見た。この世で、これ以上の喜びが他に沢山あるとは思えない。
私は、通常の意味での天職は持てなかったが、楽しい仕事をやってきたと思う。私にとって天職は、自分の生き方をまっとうできる職業ということだ。

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