歴史学と考古学

ここで大層なテーマを掲げたのは、一般にこれらを改めて定義しようとするためではない。日本の古代史が、そろそろ歴史学として一本立ちできるきっかけが欲しいからである。
中学や高校の日本史では、旧石器を経て新石器・縄文、弥生、古墳時代までそれぞれ考古学の用語で区分されている。日中・日米の戦争に至るまで、天皇家を中心にした神話教育がなされてきた反省から、古代史に客観性を持たせたいというのが戦後の大勢であっただろう。この客観性を考古学に求めたのである。火事場のことであったから一応これには目をつぶるとしても、こんな状態がいつまでも続いて良いわけがない。
私は土器の編年についてよく知らないが、縄文土器や弥生土器が歴史学上の時代区分に使われていることを不審に思わざるを得ない。また古墳時代に至っては、何のことかさっぱり分からない。ある時代だけ墓を造るということがあるのか。
土器にしろ、墓にしろ、それぞれを編年したいと考えるのは確かに自然な行為である。だが、それらを歴史年表へ史料として同列に入れることはできない。歴史は、文字史料によって、絶対年代を求められる。これに対し考古学は、仮に編年が正しいとしても、相対年代でしかない。従って、如何に編年の精度が上がったとしても、歴史学の史料にはなりえないのである。考古学の仕事もまた重要であり、先史の解明を怠らずにやらなければならないのは論を待たない。要は、歴史学及び考古学が手を携えるのではなく、互いに緊張した関係を保たなければならないのだ。
日本古代史を文字史料によってのみ組み立てるのは容易でない。だが、歴史学である以上、避けて通ることはできないのである。歴史学者よ、君達の任は重い。

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