コーヒーを淹れる

私は普段「コーヒーを入れる」と用語する。これを敢えて「淹れる」を使ったのには訳がある。青壮年時代は、時間を惜しまず豆をすり、フィルターで漉してコーヒーを飲んでいたものだ。もうはっきりした理由は分からないけれども、これが面倒になってきたのが十年ほど前だった。それ以来ずっと、インスタントの粉末に湯を注いで飲むようになった。本格的なものは、たまに行く喫茶店で飲むぐらいで、週に一二度ぐらいである。

かくして近頃は細かなことを気にして飲まないので、もっぱら「コーヒーを入れる」が身近な用法である。

先日、友人宅でコーヒーが飲みたくなり所望すると、ちょっとした銘柄のものを飲むことになった。包装がしっかりしていたので香りもまずまず、ちょっと苦みが勝つと書いてあるので期待してみた。

郡上は水の町と言われ、あちこちに地下水があったり泉が沸いていたりする。水質も高そうで、美味くなる条件がそろっている。確かに若い時にこちらで飲んだコーヒーや紅茶は格別だった。

あとは私の腕前ということになった。湯を沸かしてもらい、いざ漉す段となって次々と失敗する。連続して三つあったので列挙してみると、

1 湯が沸きそうになっているのに、包装を破らずにいた。慌てて破ることになる。この辺りで、精神が乱れ始める。

2 湯が準備できたにもかかわらず、袋の上部を切り取らないでいた。これを友人に指摘されて、ちょっとばかり動揺する。

3 湯の注ぎ方はそれなりに慎重にやれたのでうまくいったと思う。これで安心したのか、はたまた別の事が気になったためか、フィルターに残っていた滓をこぼしてしまう。

こんなことを最近やっていないので、段取りが頭の中でうまく立てられずに、行き当たりばったりになったせいかもしれない。少し間をとって気を落ち着かせ、おもむろに飲み始めた。私は砂糖も入れないし、アルコ―ルも入れない。いわゆるストレートというやつだ。思っていたほど苦くもなく、まったりしてコクがある。近頃飲んだ中では、美味しい部類に入っていた。

私はこれまで一日にマグカップで二杯以上は飲んできた。老人は水分を多めに摂るとよいらしいが、近頃はお茶を飲むことが多くなり、コーヒーを少ない目にしている。どちらにしても懐具合があるので高級なものは飲めないけれど、まずまず満足している。

今回は失敗続きであったものの、中々美味しいものに出会えたので敢えて「コーヒーを淹れた」ということにしておく。                                               髭じいさん

前の記事

母音交替