朝令暮改

私は本来わがままな性分で、人を非難したり、国家を論じたりするのは苦手だ。自分の身の回りを少し綺麗にしたり、生き易くしたりすることが主な関心事である。だが、自分の子や孫達の教育に関わるとなれば、そうも言ってられない。
数年前だったか、「ゆとり教育」とか言って、小中学校で主要科目の授業数を減らし、土曜日を休日にしたことを憶えている。専門家が、前後のことを考え、十分検討した上で決定されたのだと思う。
その結果、「ゆとり」のある子が育ったのだろう。私は、子供がゆっくり育つことを是とするから、この方針に賛成したいぐらいだ。だが、子供達の学力が低下したと批判され、役人達はまたこれを変えて、学力テストを再開し、学校単位で土曜日に授業することを容認するようなことを言っている。
もともと、小中学校の教育内容を削って子供に「ゆとり」を持たせようとしたことが、中途半端な政策だったのではないか。高校は確かに義務教育ではないが、殆どの子供が高校へ進学する現在、小中学校でやらなかった内容を高校で改めてやるしかないのである。
一人の子供にしてみれば、中学校までに楽した分を、高校で取り返さなければならない。高校では、更にセンター試験なるものがあり、増えたカリキュラムを三年に満たない時間でこなさなければならない。何のことはない。先に楽をして、苦しみを後にしただけである。
センター試験にも我慢がならない。国公立の大学などに入るために、子供達は三年の途中で望む成果を挙げなければならない。これは「ゆとり教育」に逆行しているではないか。
更に日本で出世するには、ゆっくり培った個人の実力ではなく、学歴が必須ときている。つまり、若い時に最高の成果をあげることが後の出世を決定する。となれば、親子ともども可能な限り、幼少時から、何はさておき、点数を取るための学習を必死の思いでするしかないと考えるようになる。
こうして、現場を知らない者が上位となり、リーダーシップを采ることが多くなる。これは明治以来のシステムで、若い時はともかく、年を取って無能なる者が重要なポストに就くことを排除できない。
私欲に走る無能な政治家は去れ。保身にきゅうきゅうとする役人は去れ。

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