葬式
今日は、葬式について書いてみる。
自分が生きている限り、周りにいる人達の死を目の当たりにするのは避けられない。
葬式は死亡した人を送るものであるから、身内の人は悲しんでいるし、彼等を取り囲む雰囲気も重々しい。特に自然の摂理と言えない場合は、声の掛けようもない。
私は決まり文句の挨拶ができないので、葬式に参列するのは好きでない。今でも礼服を揃えていないほどだ。
しかし田舎で暮らすとなると、隣近所に不幸があれば、通夜から葬式の後始末まで手伝う必要がある。たいした事をするわけでもないのに、疲れたり、風邪を引いたりする。だが、お互い様であるから、私がこのことに不平不満を言うことはない。
郡上では「葬式頼母子」と呼ばれるほぼ同級生単位の会がいたるところで組織されている。普段は月一回の割で飲み会をやるだけだが、不幸があると葬式の手伝いをするのである。会計とか受付の仕事が多い。
葬式では、あまり会うこともない人と出会うことがある。また葬式でしか会わない人もいる。このコラムを書くきっかけも、いわば葬式だったかも知れない。コラムニストのM氏は葬式でしか会わない人物だったが、何かしら興味を惹かれ、話すようになった。彼がこれを書くよう薦めたのである。
葬式は、人の生と死の狭間であるから、子供にも立ち会わせたい。生が一回きりであり、死もまた一回きりであることを身をもって知って貰いたいのである。
この前話した人がもう口を開かず、段々体温を失い冷たくなっていく様を、目をそむけないで見て欲しい。核家族化が進んだ今となっては年寄りと同居することも少なかろうが、できるだけ身内の葬式に子供を連れて行くよう望んでいる。