天と空

天と空は類義語といってよく、天空と熟語になったり、使い方が混乱したりする。私の場合も例外ではなく、今まであまり厳密に区別する必要はなかった。
天は漢語音で「テン」、訓読みは「あま」である。他方、空は「クウ」「コウ」で、「そら」と訓む。こんなことを知ったかぶりするのは、年も年だから、自分なりにそろそろしっかり使い分けをしたいと思うからだ。
天は「一」と「大」の会意字、空は形声字である。私は『魏書』倭人条の「一大国」を「天国」であったと考えている。古い辞書を引いてみるまでもなく、天は高くかつ大きい。
かつては、天地山川の神のみならず祖先の霊も天で祀った。つまり、八百万の神々がいる所である。あるいは、天そのものが崇拝の対象であったとも言えそうだ。
他方空は、字形から考えると、穴から覗いて何もないことを指す印象がある。山国の空は狭い。周りを山で囲まれているから、空は見上げないと見ることはできない。
天と空が同じものを指しているとすると、天があらゆるものを包含するのに対し、空は高大だが何も期待できない空虚な空間を指しているのではなかろうか。
天孫降臨は、今となっては神話のはずだが、祖先が天に居ることを前提にしている。高い山を依りしろとして天から降り、もろもろの国神をうち破って新国家を建設した伝承である。このこと自身が、限られたグループの文化であることを認めるのは容易でない。これが支配の原則となり、天孫族は他より神聖な出自を持つことを誇ったりした。笑ってはいけない。これがごく最近まで信じられていたし、まだ生きているかもしれないのである。
天は風を起こし、雲を作って雨をもたらす。この他、天は人間がこの世で生きていく様々な条件を与えてくれる。これに対し、空は空漠としていて何もない。
聞いた話だが、混んだスキー場でスキーヤーが地元の人に良い所はないかと尋ねたら、「空が良い」と言われ、憤慨して帰ったそうである。誤解を避けるために言っておくが、郡上弁で「そら」は「山の上の方」の意味だったのである。

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