かたくりの花

三月の終わりだったか、東京と千葉にいる友人が二人で郡上を訪ねてきてくれた。近くの温泉でゆっくりつかり、遅くまで焼酎を酌み交わして旧交を確認できた。
田舎者の私とは違い、彼等は東都に住んでいて教養が豊かであり、話題が豊富なのは勿論である。
二人共に私の先輩で、かつ心の師である。いつも必要な文献を尋ねてくれるし、私の状況を気にかけてくれている。スチールの本棚一つ分は、殆ど金もろくに払わず勝手に使っている有様で、見るたびに冷や汗が出てくる。書くことについても、力が足りないことを洞察されており、雑な私では細かい点まで彼らを納得させることは難しい。
このコラムの多くは彼らを読み手に想定して書いており、彼らの一言一言が胸に響く。私が萎縮したのか、彼らが気を使ってくれたのか分からないが、コラムの話題は出てこなかった。これを書きながら、幾つかの点で彼らに教を乞うべきであったと後悔している。
八幡に着いて、一緒に城山へ登ったのが唯一の観光かもしれない。私が不精だから、名所を案内することもしなかったし、うまい物を食べてもらったわけでもなく、ただただ日常の話をしただけである。
城山からの帰りだったか、山道のわきでかたくりの花が咲いていた。二人が足を止め、カメラで何枚かこれを撮っていたのが印象に残った。
ここに住んでいながら、かたくりの花がこんな近くで咲いているとは知らなかった。あらためて自分の目が節穴であること、迂闊であることを知ったのが一番の収穫かもしれない。