金印(1)
前へ進むには足元を確かめる必要がある。江戸時代(天明4年 1784年)、福岡県の志賀島で発見された「金印」は中学校の教科書にも載っている基本史料である。発見の経緯が明らかでなく、何回も偽物説が出されてきたが、その都度生き残ってきた。現状、私はこれを真物と考えている。
その根拠は次の通り。
1 面の一辺が後漢代の一寸(2、304センチ)に従っており、尺度がほぼ一致する。江戸時代に、漢代の尺度を正確に知っていたとは考え難い。因みに、前漢代は一寸が2、765センチである。
2 『後漢書』『説文』など、当時の公式文書となる史料に蛇鈕の記事がなく、わざわざ偽物と分かるものを造るとは考えられない。「蛇鈕」は蛇の形をした金印のつまみのことである。これを拙いとする見解もあるが、倭人の伝承を生かした形とも考えられ、偽物の根拠にはならない。
3 AD58年に、光武帝の子に贈られた「廣陵王璽」の金印と書体が似ている。これは篆書と呼ばれる書体で、厳密には小篆と呼ばれるものである。
篆書体は唐代に完成されたものが一般に使われているが、金印での「漢」の書体がこれに従わず、古色蒼然としている。「漢」が金石文に使うため、略体になっている点も自然だと思える。
4 偽物であれば、本物に見せるために『後漢書』東夷伝倭条にある「倭奴國」と彫りそうなものなのに、「委奴國」とあること。金石史料では、3で触れたように、鋳るなどの難しさから字画を制限する傾向がある。
以上である。
現代の水準で、発見の経緯を明らかにすることは難しい。これに拘るより、今のところは史料そのものを厳密に検証することで、その信憑性を確かめる他なかろう。