『説文』入門(23) -「至」と「到」-

「至」「到」は、意味がはっきりせず、私が苦手とする語の一つである。『説文』で「到」は至部にあり、『康煕字典』や『大漢和』などは刀部に分類する。音からすると『説文』の説をとりたい気がする。
「至」は「至 鳥飛從高下至地也」(十二篇上006)で、字形から「鳥が高きより飛び、地まで下る」と定義している。これに対し、「到」は「到 至也」(十二篇上007)だから、ほぼ同義と考えてよい。
『三國志』魏書の東夷傳倭人条に道程に関する記事があり、古来議論がなされているが、まだ定説化されるに到っていない。「至」「到」の読み方に混乱の一因があると思われるので、ここで取り上げてみる。倭人条に登場するのは以下の12例。
01 「從郡至倭 循海岸水行 歴韓國 乍南乍東 到其北岸狗邪韓國七千餘里」
02 「始度一海千餘里 至對馬國」
03 「又南渡一海千餘里 名曰瀚海 至一大國」
04 「又渡一海千餘里 至末盧國」
05 「東南陸行五百里 到伊都國」
06 「東南至奴國百里」
07 「東行至不彌國百里」
08 「南至投馬國水行二十日」
09 「南至邪馬壹國」
10 「自郡至女王國萬二千餘里」
11 「船行一年可至」
12 「以到」
まず「到其北岸狗邪韓國」(01)、「到伊都國」(05)の「到」は目的地へ実際に到着する義で、「以到」(12)も「以到京都」とすれば同じ用例と考えてよかろう。
他方「至」の用例では、「從郡至倭」(01)、「自郡至女王國」(10)は『説文』の用例とほぼ同じで、それぞれ「郡より倭まで」「郡より女王國まで」となり、「to、until」の義となる。これからすると、「自郡至女王國萬二千餘里」(10)は「郡より女王国まで一万二千余里」となり総行程である。
「至對馬國」(02)、「至一大國」(03)、「至末盧國」(04)は、恐らく「到」の略体で「着く」「到る」だろうが、最終目的地ではないため「到」の字形を避けたのではないか。この場合、「arrive at、reach、by way of」あたり。
「東南至奴國百里」(06)、「東行至不彌國百里」(07)、「南至投馬國水行二十日」(08)、「船行一年可至」(11)はそれぞれ「到るには」で、「to go to、to leave for」の義ではないか。
「南至邪馬壹國」(09)は難しいが、「到」ではないから、この場合は実際に目的地として到着する必要がないようにみえる。

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