『説文』入門(61) -「馬」と「慕」-

ここでどれぐらい種明かしするかは微妙だが、私は『後漢書』『三國志』に登場する「馬韓」と『宋書』倭國条の「慕韓」が関連すると考えている。ここでは「馬」「慕」の音義を比較するのみとしたい。いずれ「邪馬臺國」を検討する際にも役立つように思われるが、視野を広げればよいというわけでもない。
『説文』で「馬」は「馬 怒也 武也 象馬頭髦四足之形」(十篇上001)で、象形字。義の「怒也 武也」はなかなか勇ましい。
音について段注は「莫下切 古音在五部」とする。『玉篇』は「馬 莫把切」(巻第二十三 馬部三百五十七)、『廣韻』は「莫下切」(上聲巻三 馬三十五)。徐鉉は段氏と共に「莫下切」を、徐鍇は「莫者反」を採用している。いずれも声母は「莫」であり、韻母はそれぞれ「下」「把」「者」で全て上聲である。
他方「慕」は「慕 習也 从心 莫聲」(十篇下211)で形声字。「習也」は難しい。『説文』で「習」(四篇上142)は「習 數飛也」で、段注は月令の「學習」を引いている。
音につき、『玉篇』は「慕 莫故切」(心部八十七)であり、『廣韻』もまた「莫故切」(去聲巻四 暮十一)。徐鉉は恐らく『唐韻』を採用して「莫故切」、段玉裁もまた「莫故切 五部」と解している。以上から、「莫故切」は相当遡れそうだ。声母の「莫」は「馬」のそれと同じで、韻母の「故」は段氏が同じく五部としているものの去声である。
従って「馬」「慕」の声母は同じで、段氏の分類では韻母も同部だが声調が異なっている。「馬韓」「慕韓」として見ると、「韓」が共通しており、「馬」「慕」は声母が共に「莫」だから双声字である。双声のみでも仮借が可能だが、声調が異なるものの韻母が同部であり、この場合は同部仮借とも解せる。
それでは誰が「馬韓」を「慕韓」と命名したのだろう。韓人、倭国、宋朝の三者が考えられるが、私は、倭国ないし宋朝が「慕韓」の字形を選んだと推測している。韓人自身が「馬韓」を避けて自ら「慕韓」とするのでは単なるノスタルジアのような気がするし、命名権のようなものがあったとも考えにくい。他にそれらしい理由が思い浮かばない。
倭国とすれば、自称として元嘉二年(425年)条で「百濟」と「慕韓」を別扱いしているから、袂を分かった百済を除く旧馬韓全体を「慕韓」と呼んだことになる。「馬」「慕」が仮借字として使えることを承知した上で、自らの支配を「思慕」している義を付け加えているとすれば、漢語が相当理解されていただろう。
宋朝とすれば、既に馬韓中の百済を有力な独立国家として承認しているから、それとして「馬韓」は存在しないはずで、百済を取り巻く旧馬韓の小国家群を「慕韓」と呼んだことになる。『釋名』に「墓 慕也 孝子思慕之處也」(巻八 釋喪制第二十七・72)とあり、「墓」「慕」は同音だから、中心勢力を失った小国家群の立場が「慕」で示されているかもしれない。

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