『説文』入門(62) -「秦」と「辰」-
これは、「秦韓」(『宋書』倭國条)と「辰韓」(『後漢書』『三國志』)に関する予備調査にあたる。私が「小学」を勉強する動機の一つは、この「秦」「辰」の音義を比較することだった。取り組み始めてすでに三十年ほど時間が経ってしまったが、核心に近づけましたかどうか。ここでは、主観を交えず、大まかにまとめるのみにしたい。
『説文』で「秦」は「秦 伯益之後所封國 地宜禾 从禾 舂省 一曰秦 禾名」(七篇上245)となっており、会意字の解。
段注は「匠鄰切 十二部」で徐鉉と同じだから、『廣韻』を引く形で、『切韻』『唐韻』説を採用しているとも考えられる。
『玉篇』は「秦 疾津切」(禾部一百九十四)としており、声母の「疾」「匠」はどちらも<j>あたりでよさそうだ。
他方、「辰」は「辰 震也 三月昜气動 靁電振 民農時也 物皆生 从乙匕 匕象芒達 厂聲」(十四篇下175)で形声字。
音につき段注は「今植鄰切 古音在十三部」で、今音とするものの徐鉉と共通しており、やはり『廣韻』を引く形で、『切韻』『唐韻』の音を採用していることになろう。
『玉篇』は「辰 市眞切」(辰部五百三十四)とするから、声母の「植」「市」はそれぞれ<zh><sh>あたり。『玉篇』における「秦」「辰」の韻母については、「津」が<in>、「眞」が<en>でいずれも平聲だが母音のところが異なる。
そこで『釋名』を探ってみると、「辰 伸也」となっている。『説文』で「伸」は「伸 屈伸 从人 申聲」(八篇上163)で、段氏は徐鉉と同じく「失人切 十二部」と解している。『廣韻』もまた同じだが、『玉篇』は「伸 舒鄰切」とするから、韻母の「鄰」は後漢代まで遡れる可能性があるわけだ。
以上から、「秦」「辰」は声母が類似しているものの異音であり、韻母は『切韻』系で共通している。韻母について『玉篇』が異韻とするが、『釋名』まで遡れば同韻とも解せる。
以上両字が疊韻と解せることに加え、『三國志』魏書辰韓条に次のような文がある。
1 「辰韓在馬韓之東 其耆老傳世 自言古之亡人避秦役來適韓國」
2 「其言語不與馬韓同 名國爲邦 弓爲弧 賊爲寇 行酒爲行觴 相呼皆爲徒 有似秦人 非但燕 齊之名物也」
「辰韓」は「秦役」を避けて来た亡人(1)が建国したこと、「邦」「寇」「觴」「徒」などの用語が「秦人」のそれと似ている(2)ことから、敢えて「辰」を「秦」に変えても誤解されることはないと考えたのではないか。