銭考

この歳になると、どんなことでも身の丈に合った定義をしたくなるものらしい。私の世代でも、勿論、生まれながらにして資本主義の世の中であった。私もまた、生涯を通して、金銭に追いまくられてきた。ここでは、私の暮らし向きではなく、銭の成り立ちを探ってみたい。
『説文』の定義からみると、「錢 銚也 古者田器 从金 戔聲 詩曰 庤乃錢鎛 一曰貨也」(十四篇上088)となっている。どうかするとこれだけで終わってしまいそうなので、簡単に振り返るのみ。
許愼の解は「錢 銚也」で、これは『詩經』毛傳の「錢 銚」(周頌・臣工四章)を根拠にしている。
「銚」につき、段注『説文』は「銚 𥁕器也 从金 兆聲 一曰田器」(十四篇上049)とする。話がややこしくなるので、ここでは陶製の温器ないし鍬のような農耕具と解しておく。つまり、「錢」には本来貨幣としての役割はなかったことになる。
さて本題の「一曰貨也」であるが、徐鉉本にはないので、段氏は徐鍇本を採用したらしい。彼は『禮記』『周禮』などを引いて、古くは「錢」を「泉布」あるいは「泉」に作っていたとしている。
なぜ「泉」の字を用いたのか不明ながら、一応『周禮』泉府の鄭司農注では「泉の水が遍く流れるからだ」となっている。「泉」がどの程度流通していたのか分からないとしても、下って戦国時代には、銅銭の原形になるものがあったことが確かめられている。だが、「錢」が貨幣として時空を超えて普遍性をもつのは、やはり秦漢代ではなかろうか。
段氏はすでに『周禮』『國語』で「錢」の用例があることから、その来歴は古く、「泉」「錢」を仮借字とする。少しばかり音を確かめておくと、恐らく「錢 銚也」の解から、彼は「即淺切 十四部」(『廣韻』上聲巻三 獮二十八)を採用しているだろう。これに対し「錢 一曰貨也」を採用するなら平声の「昨仙切」(『廣韻』下平聲巻二 仙二)であろうから、上声の「即淺切」を古音とみていることになる。
他方、「泉」は「泉 水原也」(十一篇下019)となっており、段氏の「疾縁切 十四部」は、『玉篇』の「自縁切」ないし『唐韻』『廣韻』の「疾縁切」(下平聲巻二 仙二)を採用していると思われる。以上から、「錢」「泉」は声調が異なるものの、同部の仮借と看做しているだろう。
更に遡ると、『説文』に「貝 海介蟲也 象形 古者貨貝而寶龜 周而有泉 至秦廢貝行錢」(六篇上078)とあり、恐らくは殷代及び周代の前半あたりまでは貝が通貨の一つとして使われていただろう。他方『周禮』泉府をみると、壊れやすい貝が民間で滞るので、布もまた通用したようである。一応、周の景王代以後には「貝」「布」のみならず「泉(錢)」が貨幣として流通するようになったと考えている。

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