フィールドワーク
テーマの言葉づかいが大げさかもしれない。以前から気になっていた「ウバドウヤシキ」へ行けることになった。天気がよければ今週末である。もはや体力に自信はないが、ゆっくりなら、お荷物にはならないだろう。
参加は二名、朝十時に集合。順調にいけば「天狗鳥」で昼食、そして新宮へ下りることになっている。もう一人は地元の人だから心強い。
本来なら阿瀬尾(あせび)から入り、尾根をたどるのが常道だろう。今回は、新宮川の歩危(ほき)を少し越したあたりを入口に見定めて入山し、尾根へ取りつくことになっている。
出発を阿瀬尾とすると「鬼が坂」から、「鬼が踏んだ」-「賽の河原」-「貝掛け」-「天狗鳥」を経由して「乳母堂屋敷」までのほぼ四キロの行程である。
たった四キロと言うなかれ。山中だから高低差もかなりあり、行く先々で検証があるので、さほど速くは進めまい。しかも初めてのコースであり、楽観はしていない。地図を頭に叩き込んでいるところだ。
共通のテーマは、修験道の再現である。現在は、那比の本宮及び新宮へはそれぞれ宮洞谷と新宮川沿いの道を使っている。整備された道なので昔もそうだろうと考えてしまいがちだが、谷道は障害が多い。各所に歩危があるし、水が出れば歩けなくなる。五月ともなれば行く先を茨が遮るし、梅雨時なら山ヒルが至るところにいる。
これらからすると修験道のみならず生活道でも、主として日当たりのよい尾根道を歩いたことは間違いあるまい。今回のコースでも一旦尾根に取りついてしまえば、アップダウンはさほどでないし、見晴らしがきくので道に迷うこともなさそうだ。
私のテーマは他にもある。ウバドウヤシキから本宮へも下りることができそうなので同宮の「兒宮」と、またそのまま尾根をたどれば高賀社の峯稚児神社へも通じていそうなのでこれら両者との距離感を確かめたい。
もう一つは、二間手の宇婆御前宮との関連である。同宮は大日堂と呼ばれており、大日如来が本地と推定される。恐らく本宮の境域に不動尊が祀られていただろうから、ここでも大日信仰と不動尊が対になっている可能性がある。まあ、この点については妄想に近いかもしれない。
どうやら那比は山田庄に入っていたらしい。東氏と飯尾氏がほぼ同時期に入郡しているようなので、承久の乱以前に遡れそうだ。これからすれば、伝承通り平安後期に同庄が成立したあたりで熊野信仰が入ってきた可能性が強くなってきた。
尾根伝いに伝承地名が残るに過ぎないが、これらが那比信仰圏の要になると直感している。結果の報告はいずれまた。