風刺

「風刺」は「諷刺」であっても仮借で同義である。風刺には様々な定義がある。私は、まず『詩經』毛序の「上以風化下 下以風刺上」が思い浮かぶ。お上が下々の民を教化するのが「風化」、下々の民がお上を攻撃するのが「風刺」である。あからさまに批判できなかったので、いろいろな方法が考え出された。この定義は、古今東西変わらぬ説得力をもつだろう。
今年に入り、私が衝撃を受けた事件がある。今、私は三つの怒りを感じている。
フランスのある雑誌社がテロの標的となり、大勢の死者が出た。同誌は繰り返し、イスラム教の預言者たるムハンマドを風刺していた。彼らは、何者に対しても容赦ない態度で、公平に風刺していると考えていたかもしれない。
いち早く市民革命を成就したフランスでは、その後も、ウィットに富んだ鋭い風刺が市民の力になっていただろう。これが血で贖った「表現の自由」の発露たることを疑う余地はない。私はフランス市民が育ててきた自由、平等の理念に敬意を抱いてきた。
テロが卑劣で許されざる行為であることは万人が認めている。私もまたかくのごとき蛮行は平和への脅威だと考えている。これが第一。
だが待てよ、何だかちょっとおかしい。これだけでは腑に落ちない。昨年フランスがイラクやシリアで勢力を広げつつある「イスラム国」へ空爆していたことが頭から離れない。フランスは決して下々の者ではないのだ。
フランス政府は空爆することに正義があると主張するだろうし、また同誌が一貫した態度で風刺するのもそれなりに理解できないことはない。だが風刺される側の「イスラム国」のみならずその影響下にある民衆にとって、フランスは強者であり、空から爆弾を容赦なく落とす国である。同誌は、これを根源に据えていたか。
人は、私として表現の自由を手にするとしても、国家の一員として公の立場からは逃れられない。表現の自由を楯にして、強者の立場から、下々の民をからかうつもりはなかろうに。
同誌はまた東日本大震災の放射能漏れに関し、奇形化した相撲取りを描いている。ブラックユーモアとして、人類への警鐘として、理解できないこともない。ただ、ここでも彼らは風刺の原点を忘れている。これに苦しむかもしれない者への配慮が感じられない。相撲というスポーツを軽く扱っている点も面白くない。彼らが相撲を風刺の対象にできるほど知っていたとは思えない。知性は、磨きに磨いて強者と戦うために使うか、或いは恵まれない者のために使うだろう。強者の側に立っては、ただの抑圧であり、風刺とは言えまい。彼らが市民革命の遺産を食いつぶしていると思う。これが第二。
何故かこの事件に怒っている。私は怒っている自分に怒っている。これが第三。

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