紆余曲折

土日に祭りがあった。土曜日は晴れていたのに、日曜日は昼前から雨。孫は合羽をきて神輿をつりに行った。夕方帰ってくるころには雨が上がり、走り回っていた。
なぜ自分がここにいて、こうやっているのか不思議に感じることがある。どうやらこれには二つの側面があるらしい。一つはここに住めていることの危うさ、もう一つはどこか魂の定まらないことである。
若い時には、どうにかなるという根拠の薄い自信のようなものがあって、どこででも暮らせる気がしていた。本貫地を離れ、見知らぬ土地で生きるにはそれ相応の覚悟がいる。これが私に備わっていたのかどうか。
しかし実際に生活してみれば、どこで暮らしても、同じようなことをして生きていくほかない。それなりに衣食住が満たされれば、過激な考えも消えていくし、それぞれ土地の習慣になじんでいく。
実を言うと、継続して郡上に住んでいるわけではない。二十歳代後半から十数年ここに住んだ後、阪神大震災を挟んだ数年は故郷に帰っていた。震災でダメージを受けたものの、それが理由で再び郡上へ引っ越して来たわけではない。
二度目に来てからもう二十年近くたっている。なぜここを選んだのか覚えていないが、居心地がよさそうに感じたのは確かである。
日常を支えることが大変になってきたとは言え、子供たちも独立し、自分たちだけだから何とかなるという錯覚がある。どうやらこれが原因で、ふわふわした処世になっているらしい。もう一回、生活の土台から考えたい。
同じところで暮らし、同じようなものを着て、見慣れたものを食べているのに、近頃はどうも腰が据わらない。どこか魂が浮ついている。
迷いに迷って生きているのは、愚かであるとしても、まだまだ人生を楽しめているという意味がある。この点は、老若男女変わらないだろう。
取り組んでいることはやっと道半ば、とても納得できる状態ではない。としても、私の人生そのものであるから、生きている以上やり続ける決意である。
他方、ちらちら人生のゴールが頭をよぎる。大往生は望んではいない。だが、何となく最後まで元気にやっていけると思い込んでいる。晩節をまっとうするには、やはり全力で日常にぶつかるしかない。
自分の意識では、自らの選択を積み上げてきた。これからも、もう少し周りに配慮しながら、そうするつもりだ。今、何がやれて何ができないかを見直している。
それにしても、いったい私の魂は土着するのだろうか。旅に病んだ芭蕉が思い浮かぶ。

前の記事

好事魔多し