一期一会
近頃けっこう「一期一会」という句が話題に出てくる。私は、茶道に由来する日本のことわざであることを知らなかった。何を今さらと思う人が多いかもしれない。
ネットでちょっと調べるだけで何通りかの定義が書いてある。便利なものだ。それらによると、おおよそ次の通り。
「茶会に臨み、一生一度の出会いでその機会は二度とないと心得て、亭主及び客が互いに誠意を尽くす心構え」
なるほど。意味を知っているつもりだったのに、その奥行きが分かっていなかった。
確かに時間は戻らないわけだから、茶会のみならず日常の会話でも、その日その時間に会えるのは一度きりである。歳をとれば、こんなことは誰でも少しは分かってくるが、実感しているとは言えない。私などは知識として知っている程度である。
この句には、戦国の厳しい社会で一旦争い事がおこれば、互いに明日をも知れぬ命だというような背景があったかもしれない。こういった緊迫した状況が前提にあれば、今日ここで会えるとしても、次回は約束できない。これが最後という覚悟が要る。
平和な時代なら、何となく一度きりかもしれないと感じても、深くは考えずに友人と楽しく過ごすことが多いだろう。これには、またどこかで会えるという甘さがある。
一年前だったか、友人の地区に秋祭りがあり、おしかけて行ったことがある。これまでにも何回か、お邪魔して勉強させてもらっていたが、ここ数年は御無沙汰していた。笛や太鼓の調子、青年たちの踊りや役者の登場など、かたくなに伝統を守っていた。
私は、遠慮のない性格で、彼の母堂にもいろいろ世話になってきた。病気とは縁がなさそうな人で、朝から晩まで骨おしみせず働く人だった。それがいつ頃からか、足が痛いだの人工透析だのと、病院通いするようになったらしい。それでも早口で活発な話しぶりは変わっていなかった。
この印象が脳裏に残ったまま出かけた。お会いすると、活発さが消えており、病気が進んでいるように見受けられた。一瞬はっとしたものの、落ち着いた口調だったので、何となく安堵した記憶が残っている。
笛や太鼓の音が聞こえてきた。聞きなれた調子なのだが、その時の彼女の表情が忘れられない。穏やかながらどこか寂しげで、音が体に沁みているように感じられた。年相応に私もはかなさが分かるようになってきたが、彼女は一層迫っている気がした。
これと関連するのかどうか、彼女はその年の冬に亡くなった。
葬儀に参列でき、さらに彼女の覚悟を知ることになった。遺言だったのだろう、彼女は病院へのお礼として、医学の発展を願い自らを検体として差し出したという。見事である。してみると、あの時の表情はまさに一期一会だったのだなあ。