制度(9) -搾取-

歴史研究者たちの声明の中で、「搾取(exploitation)」という用例が三つある。久しぶりに出会った気がする。戦後リベラリズムやマルクス主義を信奉する歴史学が一世を風靡した時にしばしば見られた。結局のところ、それらでは痒いところまで手が届かなかった印象をもっている。まずは用例。
1 日本の植民地と占領地から、貧しく弱い立場にいた若い女性を搾取したという点において。
2 被害者が被った残忍な行為から目を背け、彼女たちを搾取した非人道的制度。
3 第二次世界大戦中の「慰安所」のように、制度として女性を搾取するようなことは、許容されない。
ヒューマニズム満載である。搾取されたのが「貧しく弱い立場にいた若い女性」としても、主語が書かれていない。一体だれが搾取したのか。
軍は「慰安所」を設置したものの主たる管理者ではないし、兵士たちは客である。
彼女たちは公娼であるから、一人で客を取ることはできない。業者は、あくまで民間の仲介業者である。彼女たちが契約を履行せずに逃亡などすれば、業者がそれなりに対応することは考えられる。だが彼女たち無しに公娼宿は成り立たないので、仕事が出来なくなるような暴力があったとは考えにくい。ならば、制度として搾取できる根拠がどこにある。商行為は全て搾取-被搾取の関係にあるという程度の意味か。
実際のところ、彼女たちがなぜ募集に応じたのか分からない。家族や宗族を救うために決意した者もいるだろうし、派手な世界に憧れたかもしれない。あるいは実益ばかりでなく、戦場の兵士を慰安し支えようとした者もいただろう。中には詐欺まがいだった例も伝えられている。
これらを、ドラマのように「貧しく弱い立場の女性」として一色に塗りつぶしてしまうことはできない。むしろ、彼らのヒューマニズムこそ彼女たちの尊厳を傷つけているのではあるまいか。
私は、実際に侵略者たる兵士を支えたのであるから、彼女たちもまた侵略の一翼を担ったと解している。歴史解釈にさじ加減などありえない。
どこの国でも、近代化については紆余曲折がある。日本は欧米を模範にし、政治経済から哲学にいたるまで広範囲に学んできた。近代国家の根幹たる法治もまた、日本独自のものではない。とは言え、全てを下敷きにしてきたわけではない。さまざまなフィルターにかけ、本邦の事情に合わせて取捨選択してきた。歴史学も同様である。歴史学に勝者も敗者もない。自らの主張を補うための飾りでもない。これほど歴史を重ねながら、なぜこうも人は愚かなのか。史実を検証し、これを思い知るのが歴史学の第一歩であり、究極の目標である。もし望むなら、希望はその後かな。

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