胎動

周りで新たな動きがあるからと言って、決して楽観しているわけではない。わが町内にしてもまだまだ空き家が多い。
独居老人を含めて、人の住む家は恐らくは盛時の半分くらい。整地して駐車場になったところが三か所。持ち主が町内にいるのに顧みられず朽ちているものや、所有権が移っても放置されているものがある。また所有者が町外に住み、仏壇などの処分ができず、放置されているものもかなりある。
ところが、近ごろこの傾向が底を打った気がしている。若者が地場産業の一つであるプリントを応用して新たに店を開いたし、去年だったか古着を扱う雑貨店もできた。
また今年になって隣の班に染色を扱う店ができた。いずれも青壮年世代の担っている点が心強い。店でないが、やはり若者が空き家に住み始めた例も三軒ほどある。
空き家が埋まっていく傾向はここだけではなさそうで、シャッターが目立っていた新町商店街も、目に付くだけで四五軒が店開きしている。仕事の行き返りにふと見れば、いずれも若い世代がやっているようだ。
なぜこのような動きが生まれたのかよく分からない。単なる世代替わりだけではなさそうだ。郡上踊り以外に、春秋にも観光客が来るようになったことが関連するだろうか。徐々にではあるが、観光が通年にわたるようになっているかもしれない。
若者は機を見るに敏である。まず彼らがここで新たに商売を始める気になったことを評価したい。どの店を見ても新しいセンスを感じることができ、町が若返っている気さえする。彼らの商売がうまくいけば、彼らに続く者たちも出てくる。
この流れを途切れさせず大きくしていくにはどうすればよいか。まず浮かぶのは、町の旦那衆のみならず一般の市民がこれをバックアップすることである。
1 行政が更に観光の通年化を推し進める。また彼らの住む場所や子供の教育環境を整えるなども大切だろう。
2 家賃を低めに設定する。
3 地元の金融機関が、あまりうるさいことを言わず、有望な若者へどんどん投資する。
4 町の消費者も、地産地消やリサイクルを再評価して、地元へ金を落とす。
金もない力もない、知恵もない私が考えたところで屁のツッパリにもならないが、なにかしら役に立ちたい一心である。
私がこの町へ引っ越してほぼ四十年になる。この町の魅力を語るのは既に面はゆいが、何かに魅かれたのは間違いない。
我々もまた、もう一踏ん張りして、彼らを支えていければ結構面白くなるかもしれない。

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