柔らかい

少しは老いを冷静に考えられるようになった。私にとっても、髪が白く薄くなることがその象徴になっている。体中の皮膚が弛み、手の甲から腕にかけてずいぶんシミが増えた。
歳をとっても歯が丈夫なのは結構なことだ。私は若い時からしっかり面倒を見なかったので、奥歯のみならず前歯も欠けて原形を留めるものは少ない。
幸い中年になってから相性の良い歯医者が続き、かなり被せてあるものの、殆んど自前の歯であり、まだ入れ歯の世話になっていない。
それでも、ガムをかんだり堅いものを食べたりするのは不安を伴う。ここ何年かで、ガムとキャラメルを食べているときに詰め物が剥がれてしまったし、好んで食べる芋けんぴで歯が欠けてしまったこともある。
むろんこれらの食べ物が悪いのではなく、歯の質が脆くなっているだけだろう。こうなると、どうしても柔らかで歯切れのよいものを好むようになる。食べる量も少なくなって、すっかり爺の様相である。
ただ、たまにしっかり歯ごたえのあるものが欲しくなる。近ごろ、干した鮭が手に入った。よく噛んで食べると味が濃いし、風味も豊かである。かつてはスルメやイワシのみりん干しなどをよく食べていた。
ふと「濡肉齒決 乾肉不齒決」(『禮記』卷第二 曲禮上)という文に出会った。礼儀を教える文章なので、「水分の残っている肉は噛み切ってよいが、乾燥した肉は噛み切ってしまうと行儀が悪い」と訳してみた。
干し肉を人前で噛み切るのは豪快だが、礼儀作法が問われる場面では確かに気が引ける。それではどう食べるか。
「濡肉齒決」の鄭元注は、「決猶斷也」で、「心を決めて噛み切る」でよさそうだ。が、「乾肉不齒決」は「堅宜用手」となっていて食べ方が思い浮かばない。「堅いので、うまく手で割いて少しずつ食べる」あたりか。
近ごろは、柔らかいものを美味しいと言うらしい。ケーキや豆腐ならまだしも、肉の美味しさを表すにも「柔らかい」がよく使われる。健康な肉なら、適度な歯ごたえがあり、しっかり咬めばうま味がじわっと出てくる。霜降りが多くて柔らかいとすれば、何をかいわんや。
同じ脂肪でも牛肉(beef)のそれは「脂」であり、豚肉(pork)は「膏」である。前者は肉月に「旨」でつくる。旁が単に音を表すとすれば何でもないが、数多い音符の中からわざわざこれを選んだとすれば、大昔から脂肪が肉の本旨だった可能性はある。とすれば、私の意見は少数派になる。
確かに「脂」が旨いとされる時代が長かったかもしれない。が、充分な栄養を摂れる現代に、それほど脂肪分が必要か。

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