オナゴザ
ここでオナゴザというのは、いろりの座席名である。「オナゴ座」なら女性ばかりの劇団を思い浮かべるかもしれない。
きっかけは図書館で郡上の方言資料を見つけたことだった。六十五年ほど前に地元にある高校の先生と生徒が調べたものである。様々な観点から収集してあり、中でも囲炉裏については、地図を添付して丹念に分布が落とし込まれている。これをもとに郡上近辺の情報を少しずつ集めるようになった。彼らの仕事からヒントを得るところが多いので、ここに記して置く。
郡上郡の囲炉裏を調べるのはたいへんだ。座席の呼び名だけでも、けっこう手間がかかる。前に主人が座る席としてヨコザについて言及した。今回はその家の主婦が座る席である。
大まかに言うと、和良と西和良がオナゴザで、高鷲、白鳥、大和では「タナモト」とよばれている。この分布はしっかりしていて、美並から八幡、明宝は両者が混在している。
ここに長く暮らしていると、オナゴザは少しばかり違和感がある。郡上は東部方言の西端にあたるので、「オンナザ」になりそうな気がする。飛騨ではカカザとなっている。
青山氏が藩主として迎えられた江戸時代中期あたりから、八幡城下では武士階級を中心に関西方言が優勢になっていく傾向があるものの、その外縁では母音の減る東部方言が使われていた。
オナゴザが使われている和良は中期以降殆ど旗本領であるし、西和良は幕府直轄領なので、腑に落ちない。それでも事実が優先する。淵源が遠藤氏以前に遡ることは間違いあるまい。和良筋ではオナゴザの向かいはオトコザになっており、オナゴザ-オトコザが対になっている。この地区は鬼谷を除き青山藩の影響を受けていないので、少なくともオナゴザは戦国時代以前まで遡れそうだ。和良筋は武儀のみならず土岐など東濃の影響も受けている。
他方、高鷲、白鳥、大和では同じ席をタナモトと呼ぶ。私は「棚(タナ)-元(モト)」と解している。婦人の背後に「棚」があって、お勝手仕事がしやすいからだ。だがこれには異論があって、通常「くど」と囲炉裏の間は土間になっており、戸の開け閉めがあるので「棚」を置くことは難しいという。この場合は仏壇がヨコザの背後にあって、タナモトが入り口の奥にならないと都合が悪い。因みに、タナモトの向かいはスエザである。まだ用例が少ないけれども、これらは越前あたりと関連しそうだ。
とすればタナモト-スエザは東氏の郡上入りより前に分布していたことになり、少なくとも庄園時代まで遡れるのではあるまいか。
オナゴザ-オトコザが気良庄で、タナモト-スエザが山田庄、その中間域に当たる美並、八幡および明宝は吉田庄で両者が混在していたことになる。