餅穴(上)
何のことか見当がつくだろうか。これだけでは恐らく何のことか分かるまい。私が何年かかっても解けない地名なのである。
これまで少しずつ、郡上の地名について考えてきた。地名の語源は様々で、地形に依るものや文化地名など、それなりに納得できるものがある。が、語源がまったく不明というものもけっこう多い。和語のみならず先住民の言語を原形にするというような主張すら聞くことがある。今回は「餅穴(もちあな)」という厄介な小字を取り上げてみたい。
字形に拘ると「餅-穴」で、はて何のことだか分からない。音からしても「モチ-アナ」だから、幾つか候補を挙げられるにしても、幾らかでも説得力のあるものはない。正面から見るだけでは、どういった背景を持つのか見当がつかないのだ。
かようなわけで、変わった地名というだけでこれまで全く歯が立たなかった。このままでは温めすぎて消滅しそうなので、一度ぐらいはつかえたものを吐き出して迫ってみようというつもり。たたき台になれば幸甚である。
今のところ、郡上で「餅穴」は那比でしか確認していない。小字として二、通称地名として一、「焼-餅穴(やき-もちあな)」と句の一部として使われる例が一、計四か所である。まだその内、一か所しか踏査していない。これに関わる伝承や、民話などは聞こえてこない。
四か所もあるわけだから、面白半分につけられたはずはないので、ほとほと困った。
そこで、けっこう前から福井県和泉村にあった「持穴村」との関連を考えてきたが、なかなか繋がらない。
また岐阜県の中津川にも「餅穴」という字があるものの、大蛇の住む穴へ餅を供えるというような話になっており、那比の分布と符合しないように思われる。というようなわけで、糸口すら掴めず月日が経ってしまった。
この間、友人に那比四か所のうち通称地名で「餅穴」と呼ばれるところへ案内してもらった。全体として大きく窪んだ地形になっており、周囲の一部にうず高く割石が積み上げられていた。中に赤茶けた石があり、薄い褐鉄鉱らしきものが付着しているだけなので確信を持てないけれども、これに着目すれば製鉄と関連するかなあという印象がある。褐鉄鉱の良質な部分をとった後の欠片とすれば、タタラの遺跡かもしれない。
それからもう一つ。五六十年ほど前、餅穴の川向いに水路を掘るため発破した時にけっこう黄銅鉱が出たそうである。岩盤が続いているようなので、この穴は黄銅鉱を露天で掘り、石を細かく割った残骸を積み上げた結果と考えれば、つじつまが合うような気がしてきた。この場合、「餅穴」の「餅」は銅ないし鉄が溶けたもの。「穴」には解釈が二つあり、一つは鉱物を掘った穴、一つは炉としての穴である。