振り返ってみれば
何故か私は少年期からまともに鏡を見たことがない。いまだにはっきりした理由が分からない。青年期になっても同じで、寸法通りに生きたいと思っていたのに、鏡を見て自分の姿を正確に見る事を恐れていた気がする。
今思えば、家族に姓が二つあることも、病死した父親の病名をはっきりさせてこなかったのもこれに関連するかもしれない。
この歳になれば、母親が再婚して、上二人は前夫の姓を名乗らせ、下三人は再婚した夫の姓を名乗のらせたという事ぐらい分かる。ただ、この話題について私は法事など親戚が集まった時でも一切口にしなかったし、未だに詳しく聞いたことがない。ことさら上手くいっている関係に水をさすことはないというような、事なかれ主義だったと思う。
父親の死に至る病名については、胃を患っていたことは知っている。酒を飲みすぎてひどい胃潰瘍になったと聞いていたし、それ以上のことを知ることを恐れていたように思う。当時、すでにある程度ガンが遺伝することを知っていた。もし胃ガンであったとすると、これを受け止めることが大変だったからだろう。
これらを放っていて、自分を知る勉強をしたいと思っていたのは全くの思い違いだった。
先月の大雨で、二人の娘と姪が「川の様子を見に行かないように」と連絡してきた。三人が三人とも同じである。もはや、偶然などではない。
ことの順序はもうはっきりしないけれども、私が何回か様子を見に川へ行ったのは確かだ。避難準備するにしても、川の状況を知る必要がある。明治時代の大雨で、慈恩寺に避難していた人が土砂崩れに巻き込まれて大勢亡くなったことが頭をよぎる。
我が町内の避難場所は近くの小学校で、吉田川の土手に沿って立っている。避難場所自身が安全である自信を持てない。が、これはあくまで私の主観である。ことほど左様に、自分がすでに年老いて心配される立場になっているのが実感できなかった。
どうやら私が貧乏であることも危惧されているらしい。この歳になって、そんなに金は要らない。が、まわりにいる連中は私がこれからも気ままに生きていけるか不安を感じているらしい。あちこちから配慮の声が聞こえてくる。
高齢者として今まで以上に病気やケガが怖い。生活習慣病も出てきやすい。確かにあれこれ考えると不安がよぎる。
いずれにしても、私は自分を知ることを生涯のテーマにしてきたのに自分の置かれている立場を正確に知ろうとしてはこなかった。一体何をしてきたのだろう。
ことここに至って、生き方をすっかり変えるのも大げさな気がする。もう少し、主観と実際がリンクするそれらしい爺さんになれるかな。