勝負弱い

普段通りなら互角以上に戦えそうなのに、大事な試合では勝てない。例え始めに調子が良くても、勝つことを想像したり、代表になれることを思い浮かべたりすると段々調子が狂って悪い方向へ転がり落ちる。誰でも経験するのではなかろうか。
これとは逆に勝負強い人は、ここぞというところで能力を全開し、なんとか競り勝ってしまう。
近頃、また少しずつ碁を打つようになった。今思うと、長年の好敵手が亡くなったあたりから熱が冷めていったようだ。数年以上打たなかったと思う。
昨年だったか一昨年だったか、ひょんなことからまた碁を打つようになった。郷土史の取材に伺った人物とは旧知の間柄だった。終わりごろ、碁の話になった。彼はずっと続けていたという。地区の碁会を運営する中心メンバーだった。週一で主に地元の人が集まって打つらしい。たまには打とうという誘いがあったが、寒かったのでぐずぐずしていた。そろそろ暖かくなり天候の良い日に、何かのついでに会を覗いてみた。確かこの時にはまだ打たなかったと思う。その内、何だかんだで、ぼちぼち残り火が燃え出したようだ。近頃では、周二三回打つようになっている。
もうこの歳だから勝つことに執着するわけでないが、変な負け方をすると気分がよくない。
私が最も嫌うは二つのパターン。一つは石をたくさん置かす碁の時に陥りやすい精神状態で、相手に敬意を払わず、簡単にひねってやろうという気になる。無理な手であったりウソ手だったりを打ち、相手が的確に対応して完敗する。
もう一つは自分の方が良くなって、セーフティリードしているとする。相手がこれを知って、どんどん勝負手を放ってくる。自分としては、「そんなに無理をしなくても勝てる」というようなエアポケットに陥ると、後退に後退を重ねてしまう。ゴールが見え始めた途端、緩み始めて実際に打つ手がバラバラになり統一性がなくなる。
スポーツでも勝負弱い人がいると思う。相当な技量を持っていても、いざその場になると気が動転して力が出せない。途中まで順調にこなせても、周りのちょっとしたことで調子が狂う。これらを乗り越えても、ゴールが近付くと勝利が思い浮んで崩れる。などなど、これらは全て集中力が欠けてしまう場合である。
私などはものの数にも入らぬが、若者なら今後も分かれ道になるような大事な試合が幾つもあるだろう。
ある名医が、「医者は結局目の前にいる一人の患者に集中する他ない」と言うようなことを語っていた。
キャリアには、負けてこそ手に入る大切なことも多いが、ここぞという所で全能力を発揮し接戦で勝ち抜くこともまた欠かせない経験になる。

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