踊り納め

先週土曜日に踊り納めがあった。七月の中頃から九月の初旬まで長い道中である。
観光客も多いが、この日ばかりは地元の人も区切りと言うことで踊ることが多いように思う。それだけでなく、高校生をはじめ中学生なども特別な日という意識があるらしく、何をおいても出かける子がいる。
新町界隈で踊りがあると、通勤で通う道が塞がれてしまう。坂のきつい通りへ迂回しなければならない。不平を言うほどのことはないとしても、あまり嬉しくない。
近頃はむやみにゴミを捨てていく人が減って行儀良くなってきたとは思う。が、翌朝家の前にタバコの吸い殻などがあると愉快でない。
ことほど左様に私などはやっと終わったと安堵するが、名残惜しい人は今日限りという気持ちからか、落ち着かない様子。
夕方から、町がざわざわしている。見慣れない人も多いし、屋台の準備などで車も多い。
まだ明るいうちから、ちらほら浴衣などを着飾った若い娘を見る。高齢化の進んだ田舎だから、何となく華やかで悪くない。
地元の子も同じで、女の子を持つ母親は大変らしい。浴衣を着せるのに時間がかかるようで、これが二人となると自分が出かける気にならないという。
仕事場へ出かける時にも、人が多すぎて一部自転車を押していく他なかったが、まあそんなに影響はなかった。
帰りの夜十時頃に例のごとく交通止めをくらい遠回り。帰宅すると孫の自転車があるので不審だったが、はたと思いついた。彼もまた踊りに来ていたのである。
この日はたまたま地元の高校も中学も体育祭があり、相当疲れているはずなのにそれでも出かける。
彼は名古屋で生まれ、小学校時代だったかに郡上へ来ているので、いつ頃から八幡に地元感を持つようになったのか明らかではない。が、踊りへ拘りが出てきていることから、ここ一二年のことだろうか。
彼に地元民としてのアイデンティティーが育っている気がして嬉しい反面、少なくとも私は簡単にここを出ていくわけにはいかない覚悟を迫られている気がする。
徹夜踊りをのぞけば、土曜日は十一時まで、それ以外は十時半に終わることになっている。高校生以下の生徒は、学校同士の申し合わせがあるのか、十時までに帰宅するよう決められている。但しこれには例外があり、保護者が近くいて、子供が輪に入っていれば最後まで踊れるらしい。
事情はよく知らないけれども、十二時ごろまで音頭が聞こえてきたので、踊り納めは遅くまでやるのかもしれない。

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