釣り銭

私の札入れにあまり札は入っていないが、小銭なら結構入っている。散歩に出るとスーパーや駄菓子屋へ行き、ちょっとした買い物することがある。なるだけきっちり払おうとするが、どうしても釣り銭が戻ってくる。
どうして釣り銭と言うのだろう。円(エン)と銭(セン)が併用されていた時代、円を支払い、おつりを銭でもらうから「釣り銭」と言うのでないかという意見があった。聞いた時には結構説得力があるように感じたが、家へ帰ってみるとはっきりしなくなってしまった。
まず身近に使われる「銭」の用例をみると、「お地蔵さまに賽銭(サイセン)を入れてお参りする」、「悪銭(アクセン)身に付かず」、「銭湯(セントウ)へ行く」「口銭(コウセン)が薄い」などは、金(かね)のことであって単位としての「銭」ではない。
これらからすると、円(エン)と銭(セン)が併用されていたのは明治以降だから、更に遡ると考えるほうがよいかもしれない。
「つり」について古語辞典を調べてみると、いろいろ解がある中で一つ参考になりそうなものがあった。「つり合う」の「つり」である。これなら食指が動く。
つり合うでまず思い浮かぶのは天秤だろう。つり合わせるための道具だから成り行きである。天秤と言ってもいろいろある。私はかつて両端に皿をつるし貨幣としての銀などを量る小さな天秤を見たことがある。幕末のものだと思う。
これは「吊るす」タイプのもので、とても軽いから、持ち手自身が天秤を吊り上げる。
「つり」の活用形は知らない。「吊り」「釣り」の意味で使われる用例は結構ある。これらを連体形とみれば、動詞と見做されていた時代があっただろう。
郡上方言で神輿を担いだり机を持ち上げたりするのを「つる」と言う。「足がつる」などの類義語もあるので、これを単なる方言とみることはできまい。
「つり上げる」なら「吊り上げる」「釣り上げる」で下から上へ持ち上げること、「つり合う」なら二つ以上の力が均衡している状態であること、「つり下げる」なら「吊るす」「吊り下げる」などで上に支えるものがあることを示す。
「釣り銭」は、出した金と商品がつり合っていないので、商品の方へ銭を加えてつり合うようにしたものではあるまいか。つり合いをとるための銭という意味である。
これは貨幣制度が整備された明治以後のみならず、銀本位の重量制でも起こる。商品の単価が決定されると、定量の銀で割り切れない数を銅銭などで決済しなければならない。
「釣り銭」の「つり」は訓で、銭(セン)は音だから湯桶読みである。断定は無理としても、何だか町人文化の香りがする。

髭じいさん

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