ネガとポジ

自分がネガティヴな性格なのかポジティヴなのかを考えたことがなかった。これは友人とアスペルガー症候群について話すうちに出てきた話題で、非常にポジティヴな人の行動を取り上げている時にふと振り返ってみたテーマである。私にとってこういった切り口で考えるのは真新しい。
友人に私の印象を聞いてみるとニュートラルでないかと言う。私はこれまで人にかくの如き質問をしたことがない。
ある時はポジティヴで又ある時はネガティヴと言う具合だから、かくの如き用語で一般に人の性格を語ることは意味がない。どう応えたらよいのか分からないような、自分が尋ねられたら困るような質問は大体失礼である。
彼がどう思っているかを知りたいというよりは、ふと自分を考えるきっかけが欲しかったのだろう。
ただし私はやや発達障害の傾向があるので、どちらかに偏っている可能性はある。個人史の観点から考えると、もう少し焦点が絞れるかもしれない。
若い時から振り子のようにポジとネガの間を揺れてきた気がするし、また様々な分野で態度が変わってきたことも経験してきた。
青年時代には自分の力を過信する傾向があったと思う。成長過程にあるわけだからこれは健全と言えば健全であった。いわゆる「根拠のない自信」というやつがあって、大抵のことは理解した上で乗り越えられるというようなポジティヴな気分があったと思う。
この傾向は壮年時代にも続いていたが、何回か躓くにつれて、「あれっ、こんなものだったのか」と気付いてくる。省察することはあっても、唯我独尊ではどうにもならないことを実感する。目論んでいたことが的外れであったり、互いの信頼がさほどでなかったりで失敗が続くと、自信が薄れ、いじけて歩幅が小さくなってしまう。
こうなると自分の力も相対化でき、むしろ人並みにやれることの喜びを感じるようになる。近頃ではこの人並みがなかなか難しいことに気づくようになった。健全に老いることが至難の業のように感じる。
仕事や趣味の分野でも、大まかにはポジからネガへ移り変わってきたと思う。帰り道に頭をよぎったのは、殆どネガの方しか思い浮ばなかった。どれもこれも中途半端だし、自分の能力を考えるとお寒い限り。自己満足できる要素がない。
しかしこれは何歩か階段を上がり、視野が広がってきたので、自分の立ち位置が分かってきたという意味があるかもしれない。
私は打たれ強い。五里霧中であっても前へ進むので、愚かなポジというあたりか。

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