ニットの帽子

巧んで書いても面白くなるわけではないので、今の不安を素直に認めていこうと思う。

いつのころからか、私はニットの帽子をかぶっている。雪が降るころからは必須アイテムで、何種類か持っている。中でも黒一色の帽子はお気に入りで、長年使っているので端の方が緩んで目にかぶることもある。それでも使い続けているのは、それにまつわる話が結構あるからかもしれない。

この間このコラムを掲載しているサイトを運営している社へ行って来た時、バイクに乗る準備をしていると頭がスースーするので、瞬間に帽子を置き忘れたことに行き着いた。また社に戻ると体温検査をしないといけないので、職員も面倒だろうし、そのままヘルメットを被って帰ってきた。その日の夕方、有難いことにわざわざ帽子を届けてくれた。こんな大事になるのなら、あの時にもう一度行けばよかったと反省しきりである。

ここからは思いついた順序で書くので少しばかり混乱するかもしれない。

次週の日曜日に行く予定になっている宿で、黒一色の地味なまさにこのニット帽を忘れてきたことを思い出した。数年前のことである。どういう経緯で私の手に戻ってきたのかはっきりとは覚えていないが、そこの職員さんから知り合いへ連絡があり、何かのついでに我が家へもってきてもらった辺りだと思う。私の不注意で何人にも手を煩わせて申し訳ないやら、有難いやら。

その後もこの帽子は何回か家出してきたと思う。これを置いてくるところはどこも気安いところで、忘れては連絡がありということを繰り返してきた。

実を言うと、その後この帽子をしばらく見失っていた。半年か一年ぐらいかな。その間、他の青系のニット帽を被っていたが、ちょっときつめで、髪の毛がぺシャンコになるので被ったり被らなかったりしていた。たまたまある集まりで遺失物置き場に見慣れたものがあり、不審なので手に取ってみた。私のものに間違いないと確信したので、持ち帰るということがあった。こんなものでも捨てないで保管してくれていることにある種の感動があった。

よくよく考えてみると、何と忘れるのが多いことか。呆れるほどである。これほど頻繁に忘れるというのは、集中力を欠いた老人性のものかもしれない。とすれば、要注意である。

昔よく忘れてきたのは傘で、一日に二本失ったこともある。なぜか近頃、傘を忘れることは少なくなった。傘をさして行くところが少ないからだろうと思う。若い時から忘れ物が多かったので、今も同じように忘れても自然と考えてよいのかどうか。忘れることは決して悪いことばかりでないが、忘れてもよいように、前もってやっておくしかないかも知れない。                                               髭じいさん

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