勝負事

どうやら私は子供のころから勝負事が好きだったようだ。ビー玉やベーゴマでも真剣勝負だったし、ぺったんでも同じだった。私の本貫地では確かメンコを「ぺったん」と呼んでいたと思う。それらを集めて宝物にしていた。いつだったか母親がそれらを床下に隠してしまった。ああ賭け事みたいな遊びはやって欲しくないのだなと思い、それからは情熱が冷めていった。

風呂屋への行き帰りに、床几を出して将棋をやっているのをよく目にしていた。訳も分からずじっと眺めていたものだ。いつしか自分でも指すようになり、中学生の仲間達と対戦していたことを思い出す。大学に入ってからすぐに荒んでしまい、吹田の友人宅に居候しながら難波まで将棋を指しに行っていた。

寮に戻っても学問をせず麻雀や競馬、パチンコなどをしながら腐っていた。そんな中碁を打っている連中がいたので、またぞろ打ちもせず何か月も見るだけにしていた。何かのきっかけがあったのだろう、実際に打つことになった。それ以来半世紀、休み休みだったけれども続いている。

八幡へ引っ越してからも同じようなものだったが、徐々にパチンコや麻雀をしなくなった。将棋も相手があまりいなかったので指さなくなってしまった。碁敵が一人、一人と彼岸へ渡るようになり、寂しくなって碁も打たなくなった。

数年前に今はもういない友人が碁会に誘ってくれた。昔打った人もいたし新たに顔見知りになる人が居て、結構賑やかで楽しかったことを思い出す。かくの如くして再度打つようになった。実際に打ってみると、勝敗の偏ることがある。プロの碁打ちでないのだから勝敗がそれほど大事ではないとしても、敗けるのが好きな人はいまい。

勝敗を含めて楽しく打つには、一勝一敗辺りが理想で、まあそれ程連敗しない相手と打つのが望ましい。これでも長く打つと偏ることがある。こんな場合置石を増やして行けばよいわけだが、好んで増やす人は少ない。これでも敗け続けると碁を打つ元気がなくなる人がいて、対戦相手を選ぶようになる。人を選ぶようになると人間関係がギクシャクし始める。

碁は手談なので無口な人でも対話を楽しむことができる。これまでも経験してきたが、これで人間関係も深まることが多い。他方で勝負事だから勝敗がつくのは避けがたい。これが偏るようになると付合いが疎遠になったりもする。それぞれの分野で実績を残してきた人達なので、敗け続けるのに耐えられないのかも知れない。いい年をした大人だからこそ、大袈裟に自分の人生が下らないと感じたりする。芸術とまではいかなくとも、碁もまたスポーツと考え、上達を信じてやり続けたいものだ。                                               髭じいさん

前の記事

難解な地名(上)

次の記事

相津(あひづ)