「叱」と「𠮟」

ちょっと見ただけで違いの分かる人はすごい。どちらも口偏だが前の「叱」は匕首の「匕」に作るのに対し、後の「𠮟」は五六七の「七」に作る。実を言うと、書き順も音義も異なるれっきとした別字なのです。『説文』には「七」で作る「𠮟」は載っているけれども、「叱」は見当たらない。恐らく「叱」は後に作られた語だと思われる。

声符とされている「匕」「七」について、「匕」は「呼跨切」で「カ」「コ」辺り、「化学」の「化」を思えばわかりよいかも知れない。これに対し「七」は「親吉切」で「シツ」「シチ」辺りで、馴染みのある読み方だろう。

『大漢和』によると「叱」は『集韻』の「火跨切」を取り上げて「クワ」「ケ」とし、「口を開くさま」の義しか記されていない。「火跨切」は反切と言って、「火」の前の音と「跨」の後ろの音を切り取って客観的に音を合成しようとしたもので、一種の発音記号と見てよい。仮名音で言えば「クワ(カ)」「コ」辺りに解せる。

これに対し「𠮟」は、やはり『集韻』説を採用して「尺栗切」で「シチ」辺りとし、「しかる、しかりつける、ののしる、舌打ちの音」などの意味が取り上げられている。音については同様に「尺栗切」の反切から、「シツ」「シチ」辺りと考えられているのです。どちらも声符の音が長きにわたって生き延びてきた例とみてよい。

さて、これで一応準備が整ったので実際に使われている例を取り上げて見よう。

ワードで「しかる」と打てば「叱る」、「しった」と打てば「叱咤」と変換される。皆さんもやってみて下さい。お気づきになった人もいるのではないでしょうか。「叱」には大きな声で「しかる」意味はないし、「シッタ」と読めるような音もない。どちらも「𠮟」にすべきところでしょう。

こう言った事は例え誤っているとしても、通用しているのであれば、目くじらを立てていうほどのことはないと思われるでしょうか。

それでは更にこれに似た「ヒ」について触れて見ましょう。片仮名の「ヒ」に当たる字なのですが、やはりワードなどで検索すると「匕」と変換されてしまいます。「ヒ」は比較する意味で、「卑履切」などからすればおよそのところ「ヒ」という音だと考えられます。上で述べたように「匕」が「カ」「コ」辺りですから全く異なります。

つまり、「匕」「七」「ヒ」は音としても義としても別の字であって、しっかり区別しなければいけない筈です。というような訳で、ワードやエクセルがこれほどに一般化してしまった以上、放って置くわけにはいかないでしょう。

私の如き一介の爺さんがいくら声をあげても取り上げてくれるかどうか。フットワークの軽い所から、確認の上、動き始めて欲しいですね。                                               髭じいさん

前の記事

蜃気楼

次の記事

小駄良