春木場(はるきば)
新年あけましておめでとうございます。幸い三が日、ぐずついた時があったものの、それほど雪も降らずに穏やかな滑り出しである。今年は帰郷組が殆どいなくて寂しいと言えば寂しいが、静かな正月を過ごした。これはこれでよい。
新春というのに、相も変わらず同じような事を書くのもどうかと頭がよぎった。せめてもということで西乙原(にしおっぱら)にある春木場(はるきば)という小字を取り上げて、肩がこらないよう気を付けながら考えてみたいと思う。
もう本邦において焼き畑をやっているところは無いと云う。美濃や飛騨でも話を聞かない。山焼きの技術が廃れ、山火事の原因になりかねないので、余程の事が無い限り復活することはないようにみえる。
焼き畑はこの辺りでも広く行われ、かつ歴史が深い。地名にもその痕跡は各地に様々な形で残っている。郡上においては「ナギバタ」と呼ばれることが多い。
この場合の「ナギ」は恐らく「薙ぎ」で、草木を薙ぐ、つまり刈りはらう意味だろう。秋になれば夏に繁茂していた草が枯れて水分を失う。これと同様に木もまた葉を落とし、水を吸い上げることが少なくなる。従って、草木を薙ぐのは秋からということになる。「冬ナギ」という地名もあるので、冬場であっても雪の無い時期に薙ぐことがあったようだ。
一冬過ごした草木は乾燥して春の野焼きを待つことになる。春と言っても旧暦で言えば雪解けする三月から四月あたりを連想できる。春に火をつけるにはそれなりに理由があっただろう。粟や稗などの作物なら、整地や種まきなどを考えて春に野焼きをするのが自然である。又、この辺りには幾つか「夏焼(ナツヤケ)」という小字地名が残っている。夏焼きの場合は、収穫時期の遅れるソバが念頭に浮かぶ。実際にこの地区では旧暦の六月辺りに野焼きして、地力のあるうちにソバを蒔いたという話がある。
山焼きは大変な作業であるし、炭焼きや木地師などとも協力して準備し、家族総出でやっただろう。入会地など規模が大きければ一家族では無理だろうから、数家族ないし村総出でやるような地区もあったに違いない。
かくして西乙原の春木場は、斜面にあって貯木場には向いていない地なので、焼き畑の遺称地とみてよかろう。 髭じいさん