田舎暮らし

通算すればこの町に四十年以上暮らしている。若い時ならいざ知らず、この歳になると、あれをやりたいだのこれをやりたいだのは無い。ここ何十年も映画館へ行ってないし、劇場でショーを観ることもない。少々残念なのは、博物館やら美術館へ行く機会が少ないことぐらい。

郡上八幡は、それなりに知られた観光地ということで、まるっきり静かな町という訳でもない。郡上踊りやら紅葉のシーズンには車が列をなしている。その他の時期でも連休となれば、メインの道路で自転車を運転することすら難しくなる。

まあ、こんなことも一年中というわけではないので、落ちついた昔ながらの付合いがしっかり残っている。

今日、我が家の食卓にあるものを見て感じた。ピーナッツの塩ゆでは友人から頂いたもので、毎日少しづつ食べている。塩を多めに湯がいてくれと言ったせいか、ちょっとしょっぱいが中々いける。

私は佃煮やら漬け物などの常備菜がないと寂しく感じることがある。蓋つきの小鉢には蕗の辛煮が入っているし、ガラスの小鉢には梅干しが用意されている。

どちらも知り合いやら近所のおすそ分けで頂いたものである。更に言えば、梅干しは田舎風のしょっぱいものと甘塩の二種類入っており、どちらも頂いたものである。

これだけではない。冷蔵庫の中にはピーマンやらナスなどの野菜が入っており、やはり知り合いが持って来たものだ。

台所をふと見まわすと、棚には近頃毎日パンに塗っている蜂蜜が目につくし、床にはリキュールの瓶が立っている。これらもまた碁仲間から頂いた貴重なものである。

この夏から思い起こすと、鮎やら利平栗など季節のものを頂いたことが思い浮ぶ。これらは皆口に入るもだが、勿論これだけではない。

一昨日のことである。昔から顔を知ってはいるものの、久しぶりに碁を打った人が電話連絡をくれた上で、碁盤を五面持ってきた。どれも立派なもので、気が引けたが、譲ってくれるという。無論、無償である。どう思いますか。

理由は聞いていないが、話しぶりからは、終活の一環かも知れない。気に入っている碁盤だけを残して、その他は私に役立てて欲しいそうな。

そう言えば、私が毎日触っている本についても触れておかなければなるまい。田舎に住んでいる私では必要な書籍が手に入らないだろうということで、私の先輩やらこちらで知り合った友人らが本を送ってくれる。

『大漢和』という辞書をご存知でしょうか。毎日使って表紙が千切れ、糸もほどけつつあるのは先輩が送ってくれたものだし、もう一組はなぜか碁敵がご夫婦で突然持ってきてくれたものだ。これまた理由は聞いていない。この間、彼が亡くなったと聞いて、機会があれば線香をあげに行きたいと思っている。結構刺激のある、穏やかな田舎町と言っておこう。                                              髭じいさん

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