生命倫理

 医療技術の発達には目覚しいものがある。子宝に恵まれない夫婦にとって子どもを得る多くの方法が現在ある。体外受精の技術が出来たことによって、現在では生みの母は誰でも良くなった。その結果、アメリカでは代理母が変心して、産んだ子の親権を主張したケースがあった。子どもは誰のものなのか。直接出産した人なのか、依頼した人なのか。その裁判では代理母が敗訴したようであるが、少し前までは有り得ないケースである。こうした技術が商業にも波及して、精子バンクなるものが存在し、あるバンクは、運動迫ヘ、知煤A容姿など優れているものだけを収集していることをウリにしていて、一ケース数千ドルで提供しているという。容姿で人気なのは、髪は金髪で、目はブルーなのだそうだ。また遺伝子解読の技術も次々と新たな成果を生み出していて、特許として登録され、大半の解読が出来ていると言われている。そして、来年にはついに人類最初のクローン人間が誕生するかもしれない。新たな革新的な技術が開発されると、従来の枠組みでは制御がきかず必ず混乱が生じる。特にこうした生命の操作に関する技術では、親子の意味、夫婦の意味、ヒトの優劣の意味、さらに人間の尊厳といったことなどを新たに問い直さなければならなくなる。いま我われはそんな時代に生きている。

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