Okinawan sick

 東京は今日も冷たい雨です。一週間前にいた西表島がもう遙か彼方に遠のいてしまいました。もう、行きたくっていきたくってしかたありません。せめて泡盛なんぞを買い求め「とうふよう」で一杯やってみるのですが、こんな気温じゃあぜんぜん感じが出やしません。抜けるような珊瑚礁よりもむしろ、なまどんよりしたマングローブの空気が恋しくて恋しくって身もだえしておるような毎日であります。
 沖縄というのはふしぎなところでございまして、行っているときには我が身にすっかり馴染んでしまい、非日常の感覚があまり無いのです。ところが帰ってきて、ふと沖縄にいない現実にさらされるととたんに耐え難い喪失感がやってくるのでございます。
 兄弟のいない私は小学生の頃、遠くの街に住む従兄弟達と会うのが大変楽しみでありました。夏休みなどにどちらかの家に長期滞在して、ついには一緒にいるのが当たり前、ぐらいになったところで休みが終わってしまいます。突然空いた胸の空洞を抱え、私は途方に暮れたまま二学期の学校に通ったものです。程度の差こそあれ、この時の喪失感と沖縄によって味わうそれは似たもののような気がいたします。沖縄シックとでも垂オましょうか。
 息子の通う保育園にはやはり沖縄シックにやられたと思われる保母さんがおられまして、サンシンを園に持ち込み、園児達と島唄などを歌っていましたが、それではどうも癒えなかったとみえてここのところ月に二、三度の割で渡沖されております。病膏肓に入る、とはまさにこれでありましょう。そして行く度にその禁断症状は熾烈なものになって、いつかは彼の地で暮らすことになったりもするのでありましょう。病の程度としては私はまだ、軽い方ですが、なにかこう、もう逃げられないところに来てしまったな、という諦観を孕んだ確信が感じられます。それはほのかに甘い味がいたします。

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