イゾラドの人達

 先週深夜のNHKでイゾラドというアマゾン流域に暮らす先住民の番組を見ました。密林に暮らすイゾラドはかつて実に300万人の人口を擁し、700以上の部族と言語に分化した巨大なモンゴロイドの集団でした。20世紀に入り否応なしに他の文明社会と接触してしまい、「ジャングルに無い病気」に対する免疫を持たない彼らは次々に文明社会の病に倒れていきました。なんと人口の90パーセントが死に絶えてしまったそうです。これほど激しい民族の衰退を初めて知りました。衰退そのものに驚きましたが、それ以上にその事実を知らなかった自分にもびっくりしました。イゾラドの残されたひとつの部族の最後の「ふたり」が紹介されていました。他の言語を憶えようとせずかたくなに他者を拒み、二人だけの文化の中で生きようとする姿に胸を打たれました。この二人が死ぬと延々続いてきた彼らの文化もそこで滅びてしまうのだという、リポーターのつぶやきがとても哀しくリアルでした。
 そして昨日は「世界ウルルン滞在記」で黒田勇樹という俳優が同じイゾラドの別の部族を訪ねる、という番組をやっていました。その部族もたったの6人しかいません。それなのに白人がジャングルを切り開いて作った牧場のせいでわずかな森をめぐってとなりの部族と争わねばならないそうです。部族のオトコは二人。二人とも年老いていてこの部族の未来は限りなく滅亡に近いと思われます。番組の中では争っていたとなりの部族の青年とかすかな心の交流があり、「希望が持てるのかも知れない」というパネリストの意見がありましたがそれも、楽観が過ぎるような気がしました。ここでもイゾラドのありようは果てしなく哀しいのです。黒田という俳優は部族に溶け込もうと必死です。すっぽんぽんになって彼らの腰ミノをつけた姿にはおもわず感動してしまいました。たった四日の滞在で部族の言語を少しでも習得して彼らに受け入れられようとする青年の姿勢はなんとも天晴れで、「うるるん」とさえしてしまうのですが、どうやら彼に恋心を抱いてしまったような部族の少女は四日が過ぎるとまたもとの生活に放り出されるわけで、なんだか残酷なことだなあという感想も持ちました。日本のテレビとそれを観るわたしたちこそが彼らを絶滅の縁に追い込んだ張本人の一部であることがひしひしと感じられてしまいます。
 イゾラド、という美しい名前の語源は恐らく「孤立」や「隔絶」とか、でありましょう。しかし、何万年にも亘ってジャングルに適応し、奪いすぎることをせずに森と調和して暮らしてきた彼らを「孤立している」と見るのはジャングルの外でしか存在し得ないワレワレの「文明社会」の奢りに思えてなりません。

前の記事

プール開き

次の記事

七夕