歴史観

テレビのニュースを見ていると、外交だけでも北朝鮮の拉致、中国の領海侵犯、アメリカのヘリコプター墜落事故、北方四島のロシアとの駆け引きなど、なにやら喧しい。日中戦争及び太平洋戦争で敗北を経験した日本にとって、これらは全て懸案事項の一部に過ぎない。
大上段に構えたのであるから自分の意見を言わなければならない、というものでもあるまい。また、私が全能力を発揮したところで、説得力のある見方を披露できるわけでもない。ただ、マスコミによる報道に、百人居れば百通りの見方をして貰いたいだけである。気になっている点を少し。
国家間の軋轢を、個人の力でどうにかしようとするのは難しい。だが、国家が個人で成り立っている以上、国家の行くへを決めるのは、各人の考え方である。
隣国と固い絆で結ばれることは、歴史上、あまり例がない。それぞれが内部事情をかかえて外交する他ないのであるから、長い間誠実に関わって、互いに信頼関係を培っていくことが原則である。まして、日本はこの前の大戦では、相当自分勝手で、乱暴な振る舞いをしてきたことを忘れられない。
国家が常に善であることは、理想であっても、現実にはありえない。政府が主導して非合法な活動をするのは、何も隣国だけではない。憲法では許されない軍を、「自衛隊」という形で、保持している日本も似たようなものだ。
外交に制裁はない。外交には外交があるのみ。互いに自らの原則を貫くことによってしか、信頼の芽は育たない。政治に必要なのは、金や徒党ではなく、哲学だろう。
感情に流された政策や、国内の失政を外交で帳消しにしようとするのは、誠に危険である。 

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